札医大の研究室から(19)渡邉耕太教授に聞く(十勝毎日新聞・札幌医科大学 包括連携協定事業)

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  多くの人を魅了した平昌冬季五輪。札医大はスポーツ医学に重点を置いていることでも知られるが、保健医療学部理学療法学科の渡邉耕太教授は、日本選手団の本部ドクターとして同選手団に帯同している。2010年バンクーバー、14年ソチの両冬季五輪に続き3大会連続で選手のケアに尽力する渡邉教授に、五輪におけるスポーツドクターの果たす役割やエピソードなどを聞いた。(聞き手・浅利圭一郎)
 


渡邉耕太(わたなべ・こうた)
   1967年、苫小牧市生まれ。93年札幌医科大学医学部卒業、同大学整形外科。2003年日本スケート連盟医事委員、07年日本オリンピック委員会医学サポート部門員などを経て14年から保健医療学部 理学療法学科教授。専門は整形外科学。

札医大の研究室から(19) 渡邉耕太教授に聞く 2018/04/20


浅利:冬季五輪日本選手団の帯同ドクターになったきっかけは。
渡邉:もともと自分もスケートの選手だったこともあり、スケートやスキージャンプなど冬季スポーツは身近だった。スポーツ医学の面から彼らの活躍を手助けしたいと思った。JOC(日本オリンピック委員会)の医学サポート委員として冬季五輪を含め担当している。

浅利:ドクターの体制や仕事はどのようなものか。
渡邉:本部ドクターは私を含め3人とトレーナーが1人。ほかにスケートやスキーなど各競技連盟からドクターやトレーナーが帯同している。本部ドクターはスケートやカーリングなどの氷系競技とスキーやスノーボードなど山系競技に分かれ、私はバンクーバーとソチでは氷系、平昌では山系を担当した。
 仕事としては、選手の健康管理がメインだが、けがを抱えたままの選手もいるので、その治療をしながら練習や試合に臨めるようサポートしている。今回は、過去の2大会に比べインフルエンザやノロウイルスなどの感染症が大量発生したこともあり、その対策にも追われた。期間中は選手村に住み込み、24時間オンコールで待機している。

浅利:五輪での象徴的なエピソードを。
渡邉:バンクーバー五輪の際、ある選手が脳振とうを起こし、競技への出場をストップさせた。本人は出られずに悔しい思いをしたと思うが、次のソチや平昌でも日本代表に選ばれ出場した。こちらもつらい決断だったが、無理に出場してけがなどをすれば次はなかったかもしれず、結果的にはよかったと思っている。
 冬季五輪は夏季に比べ選手団が少人数なので、選手同士も競技にかかわらず仲が良い。また、夏季では行わないコーチやメディカルスタッフを含めた全員での事前合宿を行うので、“チームJAPAN”としての絆も強いのではないか。

浅利:日本代表を目指す選手たちに伝えたいことは。
渡邉:一流選手ほど自分のコンディションをよく理解している。無理をせず、そこに気を配ることが大切だ。知識が足りない場合は、スポーツ医学の専門家に聞いてもらいたい。信頼できるドクターやトレーナーをつくり、症状があれば我慢せずに相談してほしい。そのことが選手生命を延ばすことにもつながる。

浅利:十勝の住民に向けて。
渡邉:スピードスケートの高木姉妹をはじめ十勝や帯広には一流のスポーツ選手が多く、帯広の森を見ても分かる通り国内屈指のスポーツ環境が整っている。
 十勝のスポーツレベルを上げることが、日本のスポーツレベルを上げることになるのではないか。今後も選手の生の声やコンディションを見ていきたい思う。

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  • 経営企画課 企画広報係