留学便り

Istituto Ortopedico Rizzoli, BST Lab, Bologna in Italy 水島 衣美先生(平成22年入局)

はじめに

今回はこのようなご報告の機会をいただきまして、誠にありがとうございます。留学に際しご支援いただきました教室員、同門会の皆様に心より感謝申し上げます。

自己紹介

私は2008年札幌医科大学を卒業し整形外科に入局しました。大学院での研究の機会もいただき、病理学第一講座で鳥越教授、塚原先生のご指導のもと骨肉腫の細胞株を用いた研究を行いました。この度、2023年4月よりイタリア、ボローニャにあるIstituto Ortopedico RizzoliのBST Labに留学し、骨肉腫の代謝環境に関連した研究を行っております。なお、こちらは石井先生を始めとする同門の先生とかねてより親交のあった高井病院の楠崎克之先生、そして秋田大学の土江博之先生を通してご紹介いただきました。

留学までの経緯

海外留学は中学時代に、家庭科の先生がお話しして下さったイギリス留学の話を聞いた時からずっと憧れがありました。学生時代も入職後も留学へのモチベーションが変動しつつも、いつか留学したいと思っていました。そんな中、秋田大学とのミーティングで土江先生からイタリア留学の話を聞く機会があり、先生が語るイタリア留学話は、苦労話とはいえ大変面白く、心なしワイルドになって帰国されたように思えたのでした。元々、ヨーロッパでの留学に興味がありましたので、イタリアを留学先として考えるようになり、最終的にはコロナ明けの昨春、渡伊となりました。

こちらに来るにあたり、最初の難関はビザでした。というのも、こちらの施設に来られた歴代の先生たちはいずれも研究用のビザは取れておらず、語学留学用のビザを取得していました。取得できてなかった理由は、イタリアの施設側でやってもらう手順が抜けていることに由来していたのですが、イタリアでは各システムが複雑で、現地でも誰も正確に把握していません。原因がわかった後でも、なんだかんだと色々なことがあり、結局は私も語学学校用のビザを取得しました。語学学校の費用はかかりましたが、同僚とイタリア語で会話できるようになりたいという希望もあったので好都合でした。

イタリアでの生活

2024年4月までは毎日語学学校にも行っていたので、半日学校、半日ラボの生活で、夜は宿題をやる(あるいは力尽きる)といった生活でした。イタリア語はほぼゼロの状態で来てしまったので、宿題をやらないと翌日の授業に本当についていけず、授業で何をやっているのか全く分からなかった週もありました。この報告を作成している7月現在、学校は終わり、ラボだけになったので体力的にかなり楽です。

イタリア研究室&病院事情

ラボでは、Prof. Nicola Baldiniのもと骨肉腫、骨粗鬆症に関連した基礎研究のほか、工学系をバックグラウンドしたチームでは人工関節のマテリアル等の研究が行われております。教授をはじめとするスタッフから、卒業論文を目標とする学生までおり、年代は様々ですが全員イタリア人です(Fig.1A、B)。

近年、イタリアでは、“Cervello in fuga”(頭脳流出、直訳で脳は逃走中)と呼ばれる現象が問題になっています。優秀な人材が、より良い環境を求めて他国に流出してしまう現象で、イタリアからの流出先としてはドイツ、イギリス等が代表的です。私がいた1年間でも、こちらのラボからもヨーロッパ内の他国に旅立っていきました。対策として、若手研究者たちの給与の引き上げがなされたのですが、その結果、若手と経験者の所得の逆転現象が起き、経験ある人々はまた別のストレスを抱えることになったそうです。このように何かと突っ込みどころ満載なのがイタリアなので、ビザの取得が大変だったことはほぼ記憶から消えています。

イタリア病院事情としては一般的なことしかお伝えできないのですが、Istituto Ortopedico Rizzoliはボローニャ大学に関連した整形外科施設で、一般整形外科に加え、肉腫の診療に関してもイタリア国内のみならず有名です(Fig. 2 A, B)。残念ながらイタリアは南北での経済格差が大きく、それは医療の質においても同様ですが、ボローニャはルネサンス頃にローマ教皇領だったこともあり歴史的にも裕福な地域であり、それらが医療の充実に貢献したのではと愚考しております。

ボローニャについて

ボローニャの街を説明する3つの言葉がありますので、こちらに沿ってご紹介いたします。La dotta(学問の街);諸説あるものの、ボローニャ大学はヨーロッパ最古の総合大学とされ、現在も10万人近くの学生が在籍しています。かつてはダンテ(イタリア語の父と呼ばれる)、コペルニクスが在籍していました。

La grassa(食の街);かねてから美食の街として知られ、多くの観光客が訪れます。いわゆるボロネーゼは、本来はTagilatelle al ragu(タリアテッレアルラグー)と呼ばれ、太麺のパスタにミートソースを絡めたものです(Fig. 3)。他にもパスタだけでも数種類(Fig. 4, 5)、生ハム(Fig.6)、チーズなど美味しいものには事欠きません。

La rossa(赤い街);中世の街並みが残り、赤いレンガで作られた建物によって街全体が赤く見えることによります。

パスポート紛失と再取得

このようにボローニャは学生や観光客が多く賑やかなので危険なことはほぼありませんが、最低限の注意は必要です。そんななか、私はヨーロッパで一番安全と言われているダブリンの街でパスポートを盗まれるという事件に遭遇しました。学会に来ていた諸先生方に会いに行き、浮かれている間に盗まれたようです。その際にご迷惑おかけした教室員の先生、ご心配おかけして申し訳ありませんでした(Fig. 7)。

ちなみにパスポートの再取得には戸籍謄本の原本が必要です。戸籍謄本が何日で届くかが再発行までの律速段階となりますのでご注意ください。皆様におかれましては余計なことと思いますが、パスポート紛失に関してお困りの際は遠慮なく、私までご連絡ください。

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Fig.1 A:ラボのみんなでハイキング
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B:オフィスの引越し完了後のプチパーティー(写真中央がProf. Nicola Baldini、テープカットをしようとするところ)
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Fig. 2 A: 病院正面
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B: 病院内の教会
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Fig.3 タリアテッレアルラグー
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Fig.4トルッテリーニ
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Fig.5 プロシュートなどの生ハム
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Fig.6 ダブリン、ギネス博物館

Yale 大学 廣田 亮介先生(平成24年入局)

平成22年(2010年)卒の廣田亮介と申します。2024年2月より、アメリカコネチカット州、New HavenのYale大学医学部 Department of Neurology, Neuroscience Research Centerに留学させて頂いております。

Yale大学と札幌医科大学の繋がりは長く、私の基礎研究のボスである本学神経再生医療科の本望修教授をはじめ、脳神経外科の先生が多く留学されており30年程度のお付き合いがあります。整形外科では現在教室の脊椎班チーフである森田智慶先生が2019年から研究されていました。

今回留学だよりを寄稿させて頂くこととなり、まだアメリカ生活半年の身ではありますが(現在2024年7月)、どのような生活をしているか報告致します。これまで先輩の留学体験記を拝読するとキラキラした生活に目が行きがちですが、この記録的な円安・インフレの中どのように40手前の人間がアメリカに行き、surviveしているのか『生の声』を書かせていただきます。この文章が外の世界を見たいと考えている若い医局員の不安を少しでも取り除き、背中を押すことが出来れば嬉しいです。

<留学が決まるまでとその準備>

、3歳)がいます。彼らの生活はどうするのか… 家族で何度も話し合い、お互いの考えを伝え合いました。最終的には渡米後半年間は家族で生活し、その後私一人が単身生活となる方針としました(我が家の可愛いダックスはペットホテルで待っていてもらうこととしました)。今振り返っても、家族で過ごせたアメリカの半年間は最高の時間であり良い選択だったと思います。23年3月に、山下学長と当時准教授であった寺本教授、清水医局長に希望を伝え留学の許可を頂きました。山下学長から頂いた『大きくなって帰ってきなさい』というお言葉はとても励みとなりました。この時期にはアメリカでの生活が少しずつイメージできるものになっていきました。

事務手続きについて、留学準備として最も大切な研究室選びは、日本での研究で共著者であったJeffery D Kocsisがすぐに受け入れを許可してくれました。やりとりもスムーズに進むことを期待していましたが、そう世の中は甘くありません。アメリカの事務作業がのんびりしていること… 日本のような仕事は期待できません。こちらから書類をメールでおくっても3週間ほったらかしにあうことなどざらにありました。返事が来てもSorryの一文だけ…。電話をかけて英語で言い返すことができない自分が情けない日々でした(今もですが)。難解RPGのように2歩進んでは3歩下がるようなpaper workを粛々と進め、大使館から家族5人のVISAが送られてきたのが年末で、ポストを確認して妻とハイタッチを交わしました。すでにこの時には渡米の飛行機も予約していたのでドキドキの日々でした (この作業は多くの先輩に聞いても皆さん余裕綽々で終わる訳ではなさそうなので焦る必要はないのかと思います)。年が明けてからは更に怒涛の日々でした。荷物を詰め込み、アメリカでの住居、車の契約を結び、ペットホテルでの涙のお別れを経て2024年1月25日アメリカに旅立ちました。

<アメリカでのセットアップと生活>

私は研究所から車で15分ほどのBranfordに生活しています。自宅はかなり年季の入ったapartmentですが、中はreformされており快適に生活を送ることができています。(3BRで2400$... やはりちょっと高いですよね)。とても安全な地域で、緑が多く閑静な場所です (Figure A)。スーパーマーケット、100円ショップ、図書館など生活に必要なものは一通り揃っていて生活する上での不自由は感じません。最高の景色のビーチもあります。銃声を聞いたこともありません。日本人は多くありませんが、その分家族ぐるみで仲が良く、皆が助け合っている印象です。セットアップに関しては、特に5年Kocsis laboで研究していた中崎公仁先生に大変お世話になりました。子供達は親の心配をよそに3人共、すぐに現地の学校になじみ、楽しんで通学してくれました(こちらではほとんどの生徒がバス通学です)(Figure B)。言葉も十分に喋ることが出来ない中、友達を作り外でサッカーしている子供達を見ているとコミュニケーションにおいて言葉とは手段の一つでしかないことを認識させられます (Figure C)。親同士で会話していてもあからさまな人種差別など感じるケースはほとんど無く、むしろ日本で生活している時に私自身が外国の方々にこんなにフレンドリーに接することができていただろうか、と自問自答してしまいます。長男、次男は6月に行われる中学校、小学校の卒業式に卒業生として参加しました。本人達にとっても重要な経験ができたのではないかと確信しています。また、自分自身右も左も分からない環境に置かれながら、常に私と息子達を支え、バックアップしてくれた妻には本当に感謝しています。

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Figure A apartmentの裏庭

冬の写真なので寒々しいですが… とても夕日がきれいです

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Figure B バスのお見送り

こちらの生活は多くが子供優先。スクールバスが近くにいるときは停車しなければいけません。

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Figure C 次男サッカー試合後の一枚

仲が良く、良いチームでした。

<Kocsis Labと研究環境>

私が所属しているKocsis laboは実働3-4人の少数精鋭ラボです(Figure D)。Yale大学(Figure E)から7-8km離れた退役軍人医療センター内に存在します。先述の通り、本学の脳神経外科の先生が多く留学されていましたが現在日本人は私一人となっています。Kocsis先生は、神経再生医学の権威であり、現在まで細胞移植による神経再生医療学と神経生理学に従事してこられました。近年は、特に間葉系幹細胞(MSC)治療の中でもMSCから分泌される細胞外小胞(エクソソーム)をメインテーマとして研究しています。私自身のプロジェクトとして他の難治性神経疾患に対するエクソソーム治療の効果とメカニズムの検証、また脊髄損傷に対するエクソソーム治療とある薬剤の併用療法による効果促進の検討を与えて頂いています。またスタートアップ企業と連携してhumanを対象にしたMSC治療の治験が今年中に開始される予定です。研究手法・手技だけでなくアメリカの医療システムなど幅広く学ぶことができればと企んでいます。こちらの研究者(特にアメリカ人)は自分と家族の時間をとても大切にします。私もそのおかげで、この数ヶ月は日本では考えられないほど、家族と多くの時間を過ごすことができました。日本では働き方改革が始まったことで国内での医学研究は終わった、などと言われています。本当にそうであればアメリカの研究もとうに終了しているはずですがそのようには見えません(毎週のように、近隣の研究室からもNatureやCellなどのBig journalに仕事が報告されています)。日本の研究力にとっても重要なのは仕組み(集約化と効率化、予算)を整えることではないかと考えさせられています。

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Figure D Laboのホームパーティでの一コマ

Kocsis先生が自らハンバーガーを作ってくれました!

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Figure E Yale大学の校舎の一部

荘厳の一言です。

<社会情勢>

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Figure F 魔都ニューヨークのTimes Square

日本企業がここで覇権を再び握る時が来るのか…

ご存知の通り、歴史的な円高・インフレの真っ最中となっています(7月現在161円/ドル)。一方アメリカは治安維持の目的もあり生活保障の最低水準も一定のラインをキープしており、我々のようなPostdocに対しても給与が発生します。我々の様に家族5人の生活でなければ不自由のない生活ができる状況かと思います。ただスーパーマーケットで商品の値段をいちいち円換算するのは精神衛生上しないようになりました。また、ニューヨークだけは話が違います。先月家族旅行に行った際には500mlの水のペットボトルを買って650円し払いました。スーパーの時給が4000円とのことですが、日本人が簡単に住める場所ではなくなってしまっているように感じます (Figure F)。

<まとめ>

この半年間を振り返ると、多くの充実した時間、楽しかったことが思い出されアメリカに来て良かったなと思うことが出来ます。山下学長、寺本先生をはじめ多くの偉大な先輩方から後押しをして頂き今があります。家族全員、留学して良かったと思っていますし、私自身来月から単身でのアメリカ生活となりますがこの思い出をエネルギーに変えて努力することができると確信しています。親身になって相談に乗っていただいた全ての先輩方に、この場を借りて心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

若い先生方へ。将来やキャリアパスに関して皆多くの悩みがあるかと思いますが、やはり一度の人生です。後悔しないよう自分の興味ある世界に飛び込んで欲しいと思います。その多様性が組織を強くします。留学に対してお悩みの先生がいらっしゃいましたら、時差を気にせずいつでも相談ください。細かな情報も含めて喜んで共有いたします。

国立病院機構神戸医療センター 塚本 有彦先生(平成25年入局)

はじめに

私の留学に際しまして、山下学長、寺本教授、清水医局長をはじめ教室員・同門の先生方に多大なご支援をいただき、貴重な機会を与えていただいたことに心より感謝申し上げます

自己紹介

2011年(平成23年)札幌医科大学卒業の塚本有彦と申します。2021年より2年間大学脊椎班に在籍後、2023年にAO Spine fellowとしてシンガポールに留学、また国内留学として国立病院機構神戸医療センターに半年間在籍させていただきました。

留学の経緯

AO Spine fellowに関しては以前寺島先生が行かれており、海外の臨床を一度見てみたいとの思いが強く申し込みました。また脊椎班のチームリーダー時代に、大学で当時吉本先生が執刀されていた小児の高度後弯変形の再手術症例などをみて刺激を受け、脊椎の高難度手術の経験をしたいと思うようになりました。また、山下学長の紹介で以前神戸医療センターに1週間留学に行かせていただいたこともあり、神戸医療センターでの留学を希望しました。

シンガポール

シンガポール中心部からやや西側にあるNational University Hospital SingaporeのSpine Centreでフェローをさせて頂きました。病院棟がTower A〜Hの計8つもある大規模病院で、手術室は3箇所、脊椎手術は毎日平均して2-3列行っています。O-armやNavigation、FESSなどがあり機器も充実していました。脊髄腫瘍や、小児の側弯、成人脊柱変形やFESS、頚椎・腰椎人工椎間板等様々な手術に入りとても充実した生活でした。特に興味深かったのはDr. Wong Hee Kitが行っていた早期発症側弯症に対するVertebral Body Tetheringで、凸側の側方から椎体にスクリューを入れ、凸側を成長抑制させ成長とともに側弯を矯正するものです。また、Dr Dennis Heyの手術も刺激的で、T10-骨盤後方固定(+L3〜S1TLIF)を1人で4時間程度で行ったりととにかく手術が上手でした。Dr Dennisは以前ヨーロッパやアジアなど4カ国で手術の勉強をしてきて、UBEや人工椎間板など新しい手術をたくさん行なっておりとても勉強になりました。毎週木曜午前はカンファレンスがあり、画像でなんとなく理解はできましたが、自分の英語の聞き取り力の低さを痛感させられました。自己紹介の時間を10分程度もらったので、札幌医科大学の紹介や研究していたヘルニコアについてプレゼンしました。ヘルニコアは日本でしか導入されていなかったので興味を持っていただいたのですが、自分の英会話力が低すぎて質問に返答できず失笑されてしまいました。

自分の他にタイやパキスタン、バングラディッシュからも留学に来ていました。夜や休日は共に生活し、セントーサ島やガーデンズバイザベイ、リトルインディアなど一緒に観光にいきました。最終日はフェロー全員で空港まで見送りに来てくれました。シンガポールグランプリ(F1)も一生に1度と思い見に行きましたが、思っていたよりすごい爆音と、気温の高さや周りの観客の熱気でみているだけで疲れましたが良い経験になりました。

1Dr Dennisとフェローで手術後に
Dr Dennisとフェローで手術後に
2B
Dr Gabrielとフェローで

神戸

神戸に医療センターがつく病院が多いので間違えられますが、国立病院機構神戸医療センターはよく学会でいく中心部ではなく車で20分程西側に行ったところにあります。整形外科医は10名おり、ほぼ全ての疾患の治療をしていますが脊椎手術が特に多いです。小児脊柱変形の分野で有名な宇野耕吉先生と、その下に鈴木哲平先生、伊藤雅明先生がおり、小児〜大人の脊柱変形は主にこの3名の先生が担当しています。札幌医大と違い、脊椎志望の後期研修が主に脊椎変性疾患を執刀し、指導医が主に変形の手術をするという風潮でした。宇野先生のもとに兵庫県内だけでなく近畿や中国、四国からも紹介患者が来ていました。また、兵庫県立こども病院や四国こどもとおとなの医療センター、大阪母子医療センター等でも出張外来や小児の手術をしており、度々同行させてもらいました。特発性側弯症や症候性側弯症の手術は週にだいたい2.3件、早期発症側弯症や先天性側弯症の手術は各病院をあわせて月に2.3件あり、小児の手術だけでも非常に多忙でした。また、時間がある日には徳島大学にFESSの手術見学やキャダバーに行かせてもらい、半年間があっという間に過ぎました。

術中はO-armなどはなく透視のみで、基本的にスクリューはfree handで入れています(free handでもほぼ外すことはありません)。特に側弯に対するfree handでのスクリュー挿入をたくさんやらせてもらい技術的な面でかなり勉強になりました。慣れてくるとNavigationを使うよりも短時間でスクリューを入れることができ、手術のメインである乖離や矯正に時間をかけることができて良い方法だと思います。また、これまでの日本での早期発症側弯症に対する治療はGrowing rodやVEPTERなど多数回の延長手術が必要な、小児患者の精神的に負担が大きい治療が必要でした。しかし新しいSHILLA法という延長手術が不要な方法を宇野先生が積極的に日本に導入しており(多くの大学に技術指導に行かれていました)、手術回数が極端に少なくなり成績もよいと感じました。札幌医科大学で今のところ症例がいませんが、手技自体は難しくなく症例があればSHILLA法を導入したいと考えています。

週末はほぼ休みをもらえていたので、鳥取砂丘、奈良公園、京都の紅葉や四国旅行など家族で色々なところに行けました。神戸のアンパンマンミュージアムは鉄板で半年間で3回行き、家でも娘はアンパンマンミュージアムの動画に釘付けでした。娘が一番喜んでいた鳥取砂丘では一人で砂丘を一周し、奈良では鹿と闘おうとしたりなど思い出を沢山作ることができました。

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徳島でのFESS見学・キャダバー
300
四国の家族旅行にて

最後に

留学に関し貴重な機会を与えていただいたことに改めて教室員・同門の先生方と、留学時に関わった多くの先生方に感謝を申し上げます。力不足ですが留学で培った経験を少しでも医局に還元できるように今後精進したいと考えていますので今後ともどうぞよろしくお願い致します。最後までお読み頂きありがとうございました。

徳島大学 藤本 秀太郎先生(平成27年入局)

2013年卒の藤本秀太郎と申します。2022年4月から1年間、徳島大学へ全内視鏡下脊椎手術(Full-endoscopic Spine Surgery: FESS;)を学ぶため国内留学をさせていただきました。この場をお借りして国内留学の報告をさせていただきます。

国内留学のきっかけ

2013年に卒業し、整形外科専門医取得後の2020年4月の済生会小樽病院への出張時より本格的に脊椎診療をはじめました。まずは基本的な手術を1人で出来るようになるところから始まりましたが、1年ほど脊椎診療を行う中で“今後30年余り脊椎外科をやっていくとして、自分は何がやりたいんだろう”と考えるようになりました。

そんな折、2021年4月にコロナの真っ只中でonline開催された日本脊椎脊髄病学会学術集会にて、西良教授のご講演を拝聴しました。内容はFESSでヘルニアのみならず狭窄症まで局所麻酔下で施行できる、といったもので当時の私には衝撃的でした。また徳島へのフェローシップにて1年で手技を習得し、地元でFESSをはじめられる、とも述べられていました。“徳島に行けば、自分もこんな手術が出来るようになるかもしれない”そう思うと、いてもたってもいられず、すぐに当時の脊椎班トップの吉本先生、教室長の江森先生に国内留学希望を伝え、山下教授のご許可をいただきました。留学という貴重な機会をいただけましたこと、ならびに多大なご支援をいただきましたことを改めて感謝申し上げます。

徳島大学整形外科の特徴

自分で希望したとはいえ当教室としては初めての留学先であり、内視鏡を触ったこともほとんどなかったため、留学に際して若干の不安はありました。しかし、西良教授をはじめ、徳島大学の皆様が温かく迎えてくださったおかげで、すぐに不安はなくなりました。

徳島大学はスタッフが教授を含めて15名程度、脊椎班に限れば5名と札医大と同程度の人数でした(図1)。しかし札医でいう中ベンはおらず、私がいた1年間はノイへもいませんでしたのでフェローが中ベンのような病棟業務をしつつ担当患者の手術に入る、といった形でした。私と同時期に岐阜大から半年フェローが来ていましたので、彼と協力しながら病棟業務をこなしていました。フィリピンからも半年フェローが来ていましたが日本語がわからないので病棟業務では戦力になりませんでした。彼との会話で英語力は大分向上した気がします。

少人数の医局ですが手術・学術活動とも精力的に取り組んでいる先生方ばかりでした。その分、とても忙しそうではあるのですが、医局全体のモチベーションの高さに自分も良い影響を受けたと思います。

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図1.徳島大学脊椎班スタッフとフェロー(2列目一番左が筆者)。

研修の実際

月曜と火曜午前は西良教授の外来見学です。1人1人丁寧に診察されており、今までの自分の診察が恥ずかしくなるほどでした。とにかく患者さんを腹臥位にして腰部から下肢を触診します。私はこれまで腰椎の圧痛を軽んじていましたが、患者さんの多くは再現性をもって圧痛を訴えます。また疼痛が誘発される動作から痛みの原因を推測し、当該部位のMRIを注意深く見てみると、ほんのわずかな炎症に気づくことが出来ます。そこをブロックしてみる、というのをひたすらに繰り返します。この方法でほぼ全ての患者さんの痛みを診断していました。西良教授が地道に症状と向き合っているのを1年間間近で見られたことが一番の留学成果かもしれません。

水曜と金曜は手術日でした。自分が担当する症例はFESSが中心ですが側弯症や脊髄腫瘍など様々な症例を担当させてもらいました。徳島大学では様々な最先端の手技が行われており、脊髄腫瘍に対するaugmented reality navigationを使用した顕微鏡手術やロボットによる椎弓根スクリュー刺入(図2)などを経験することが出来ました。またいわゆる普通の除圧やTLIFであっても自分が教わってきたこととは違うことばかりでした。これまでと違う考え方に触れることで、脊椎外科医として引き出しが増えたと感じるとともに、札医の先輩から教わったことの良さも実感しました。

火曜の午後と木曜日は徳島県内の病院にバイトに行かせてもらっていました。後述しますがフェローの私にも素晴らしいバイト先を用意してくださり、生活面の不安はありませんでした。土日は適宜回診に行きますがdutyではないので家族で出かけることも出来ました。

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図2. ロボットアーム(CirqⓇ)による椎弓根スクリュー刺入の様子

FESS習得への道

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図3. FESS術中の様子

西良教授より直接指導をいただいているところ

実際に体感するFESSは、想像していた以上にはっきりと神経の除圧が可能で、今まで自分が手を出せずにいた高齢者にも多大な利益をもたらしてくれるものと確信しました。下肢痛に長年苦しんでいた女性が、手術台からストレッチャーに移って仰臥位になった瞬間から下肢痛がなく、SLRT陰性になった瞬間は今でも忘れられません。低侵襲・局所麻酔手術の醍醐味だと思います。

手技は実際の症例を通じてon the job training形式で直接指導いただけました(図3)。またモデルボーンを用いた練習はいつでも利用できますし、カダバーを用いての訓練も不定期に開催していただけます(図4)。私は年間として6回カダバー訓練をさせていただきました。

学術活動

徳島にいる間、6つの発表・研究テーマを各種学会で報告させていただきました。フェローの私にこのような機会を多数与えていただき大変光栄であると同時に、これほど多くのテーマがあることに驚きました。FESSのみならず、AR顕微鏡手術・ロボット手術など最新治療を実践していると同時に、被曝提言への取り組みや痙性に対する体外衝撃波など日常臨床の中で常に疑問と向き合い、新たなことにチャレンジする姿勢を教室員の皆様が持っているからだと感じました。6つのテーマの内、4つを英語論文にすることとしました。北海道に戻ってきてから現在まで3つがacceptされ、残り1つもsubmit中です。現在submitしているテーマ「全内視鏡による椎間板性腰痛の可視化」は学位論文にしたいと考えています。このほかにFESSや腰椎分離症などの総説や教科書執筆の機会もここでは紹介しきれないほど多数いただきました。執筆活動に関しても西良教授はじめ徳島大学スタッフの先生方が熱心に指導してくださいました。

徳島での生活

留学に際して、家族(妻、子3人)とともに徳島に移住しました。初めての四国でしたが、家族、とくに妻は徳島での生活を大いに気に入ってくれました。徳島県内はもちろん、大阪・兵庫・香川・高知・愛媛など近隣の県へも車で2時間圏内のため週末毎に違う方面へ出かけました。留学中、徳島大学の医員としての待遇を与えていただいたため大学からも給与をいただいた上に、週1.5日はバイトもいただいていました。そのため家族で遊びに行ったとしても生活面の不安はありませんでした。とくに木曜日のバイトはタクシーで1時間半かけて県南の美波町へ行かせていただきました。ウミガメが産卵にくるような海岸に近い、その名の通り美しいところでした(図5)。

今後の目標

留学後は函館五稜郭病院に出張させていただいています。教室・病院の皆様にご支援・ご協力いただき機器も用意でき、2024年8月までに約80例のFESSを行いました。1人で開始するにあたって大変なこともありましたが、幸い大きな合併症なく施行できています。今後は北海道でFESSを普及させていくとともに、FESSのエビデンス構築に貢献できるような研究を行いたいと思っています。そうすることが指導してくださった西良教授はじめ徳島大学の皆様への恩返しと考えています。

最後に

この度留学の機会をくださった教室の皆様、そして親切かつ熱心にご指導してくださった徳島大学の皆様に改めて深謝申し上げます。

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図4. モデルボーンでのFESS練習風景

モデルボーンによる練習は事前申請なしでいつでも利用可能

図5. バイト先の美波町の海岸
図5. バイト先の美波町の海岸

昼休みの散歩が癒やしの時間でした。

University of California, San Francisco 房川 祐頼先生(平成27年入局)

③

私は2024年4月1日からアメリカカリフォルニア大学サンフランシスコ校 (UCSF)整形外科のFeeley-Liu labにて基礎研究留学を開始いたしました。2020年から大学院生として細胞生理学講座(生理学第一講座)にて整形外科領域疾患に関する骨格筋生理学研究を開始しておりました。臨床を通じてスポーツ整形外科、小児整形外科領域において遭遇する筋肉にかかわる問題について見て見ぬふりをしてきた事がきっかけでした。當瀬前教授のもと、主に運動後疲労、サルコペニア、肉離れ、Overuse症候群といった問題に関して研究を行いました。腎不全サルコペニアモデルを用いた筋疲労とミトコンドリア機能低下に関する病態解明(H Fusagawa et al. J Appl Physiol. 2023, PMID 37560765)と電気刺激運動療法の効果に関する研究(H Fusagawa et al. Front Physiol. 2024, PMID 38989049)、また肉離れに対する多血小板血漿療法の効果に関する研究(H Fusagawa et al. J Orthop Res. 2024, PMID 38229261)を行う中で、骨格筋内部に存在する間葉系前駆細胞 (MSC, FAPs)が重要な役割を果たし、これに関するさらなる解析アプローチの必要性を認識しました。またこのような骨格筋基礎研究を質の高いトランスレーショナルリサーチに昇華させるノウハウを持ち合わせた整形外科は日本では見つけることができませんでした。そんな中、同門であるUCSF長尾先生にサポートいただき、スポーツ整形外科医として手術を行っているMDのPIが骨格筋FAPsにfocusした基礎研究を行いトランスレーショナルリサーチまで行っているFeeley-Liu labをご紹介いただきました。社会のニーズからその重要度が今後増すと信じてやまない骨格筋研究に関して私が整形外科として臨床とともにどう関わっていけるのか悩んでいた中で、近年注目されている分野の確固たる研究技術を習得し臨床へとつなげる力をみにつける最高の機会を得ました。

意気揚々と渡米を果たしたところ、数多くのアメリカ社会の洗礼を受けることとなりました。まずは軍人施設の研究機関であるためセキュリティが厳しくソーシャルセキュリティーナンバーを獲得後から手続きが開始され渡米後3ヶ月でようやくラボにて動物実験が行える状況となりました。他にも渡米後には日本では知り得なかった留学の実際について少しずつ認識するようになってきました。UCSFには多くの日本人医師が留学していますが皆その立場が様々ですが、大きくvisiting scholarかpostdocかに分けられ、留学の内容は大きく異なっていました。Visiting scholarは無給でいわゆるお客様として認識され、臨床研究で来られている先生はラボに席もなくデータをもらい自分の時間で家や図書館で解析を行うようで遊んだり家族の時間をどれだけ作るかも自由なようでした。整形外科ではそれに手術見学ができるというオプションがつくように見受けられました。一方postdocはpost doctoral(博士号取得後)の和訳で誤解されますが博士号のあるなしにかかわらず採用され、給料の出どころであるgrantに紐づいたprojectを任され研究を行い研究を主導するため基本的にはfirst authorとなります。自分の時間は自由に使えますがより責任が伴うためどちらかというと日本の大学院生に近い生活になるのではないかと思います。地域によって呼称は異なると思いますが周囲の先生方の情報からもアメリカでは大きくこの2つの留学形態が存在するようです。今後留学を志す先生方はどのような留学にしたいかのビジョンによって留学の立場を決定することが極めて重要であると感じました。

私は留学後3ヶ月でまだまだこれからであるため報告することが多くありませんが、現在筋ジストロフィーにおけるβ作動薬、ステロイド治療が骨格筋FAPsに及ぼす効果についての研究の主導を任されています。筋ジストロフィーは日本でも国立精神・神経医療研究センターなどが主導するエキソンスキッピングを含めた遺伝子治療が注目されていますがいまだ根本治療に至っていません。小児整形外科では失いゆく筋機能に対して運動誘発性の筋損傷、炎症、線維化の懸念のある中リハビリ処方を行い、拘縮した筋腱に対して延長術を行います。筋ジストロフィー筋に関するリハビリのエビデンスが乏しい中、札幌医大では細胞生理学講座と共同研究を行っている保健医療学部の山田研究室では等尺性収縮のトレーニングはむしろ筋ジストロフィー筋の損傷耐性獲得の可能性を示唆しています(N Yamauchi et al. J Physiol. 2023, PMID 37184335)。このことからもさらなる筋ジストロフィー筋研究の重要性を痛感しており、留学中に特に力を入れて従事したい研究の一つであります。この他、脊髄損傷モデルマウスを用いた異所性骨化の研究、椎間板変性モデルマウスを用いた傍脊柱筋変性と痛覚変調性疼痛の研究、膝靭帯損傷OAモデルを用いた脂肪細胞の研究などで実験・モデル作製の協力を行っており、骨格筋だけでない整形外科基礎研究一般の技術知識を習得できることを期待しています。同門の先生方には大変貴重な機会を賜り感謝してもしきれません、誠にありがとうございます。この機会を決して無駄にせず実りある留学とし、骨格筋のみならず基礎研究から臨床研究へと昇華させる知識技術を身につけ、後進を育成できる整形外科医になるため日々精進してまいります。この度は貴重なお時間をいただきご一読いただき誠にありがとうございました。

イタリア パドバ大学 塩泡 孝介先生(平成27年入局)

2013年卒業、2015年入局の塩泡孝介と申します。2020年4月に札幌医大大学院に入学後、2023年4月よりイタリア・パドバ大学解剖部門への留学の機会を頂きました。山下学長、寺本教授をはじめ教室員・同門の先生方に多大なご支援を頂きこのような貴重な機会を与えて頂いたことに心より感謝を申し上げます。研究環境やイタリアの外務省の手続きの関係から4度イタリアと日本を往復して研究を行わせて頂きました。パドバ大学解剖部門は筋膜やファシアの基礎・臨床研究における世界の最先端の施設であり、素晴らしい環境で研究を行わせて頂きました。

私は大学院生活の前半は研究を行っていた膝関節のバイオメカニクスについて研究を行わせて頂いていたのですが、3年前に自分の肩こりが強かった時にハイドロリリース(超音波画像を見ながら病態のある筋膜またはファシアに注射をして症状を改善するという治療法)を自分の首に受けてものすごく効果があり感動したことがありました。そのため大学院後半は『ハイドロリリースの作用機序』の研究を中心に行わせて頂きました。これについて研究を進めている際に、パドバ大学解剖部門からの研究が筋膜やファシアに関する基礎研究の重要な研究の多くを占めていたことから、パドバ大学解剖部門への留学を希望させて頂きました。

パドバ大学のCarla教授の連絡先を知ることができメールをさせて頂き訪問したところ、研究留学を快諾して頂きました。ただ、ここまではとてもスムーズに進みましたが、イタリア人のとてもとてもおおらかな国民性のためVISA取得等の事務手続きには非常に苦しみ、最初にVISA申請をした半年後にやっとVISA申し込みの手続きが開始され、実際にVISAを取得できたのは出発の三日前でしたが、なんとか予定通りに留学を開始することができました。

なんとかVISAを取得してイタリアに入国し、ホームステイで生活を開始しましたが、家でいつも歌っている陽気なイタリアンママたちと楽しく暮らすことができ、到着した日からとても楽しく生活することができました。パドバは、イタリアの北東のベネト州の都市で、パドバ大学を中心に街ができています。ベネチアからとても近いのですが、パドバ自体にはあまり観光地はなく学園都市というイメージの街でした。パドバ大学はイタリアで二番目に古い大学で、解剖部門には世界で最初の解剖室がありました。世界各国の留学生も幅広く居住している国際的な都市でした。

パドバ大学での研究生活を開始してからは、まずは私のこれまでの研究結果の解釈や今後のハイドロリリースについての研究方針の議論と、パドバ大学で行う研究内容のカンファレンスを重ねました。研究を進めていく方針の全体像として、最初に超音波による画像所見と実際に解剖献体を開けて確認する際の所見の乖離があるということについての研究が必要だということをCarla教授に繰り返し強調されましたので、まずはこの研究から開始し、そのひとつの成果として筋膜の解剖と超音波等についての論文を投稿させて頂きました。その他にも日本で行った生体力学試験の研究内容を議論して論文作成の指導を頂いたり、将来の研究の予備実験を行ったり、他の研究者の研究を共同研究を行わせて頂いたり、国際学会の講師の機会を複数頂くなど、とても貴重な経験をたくさんさせて頂きました。

また、パドバ大学解剖部門は、筋膜とファシアの研究を先進的に進めていることから、多くの国からファシア研究の第一人者が訪れ、それらの先生のお話を聞くことができ、普段と違う視点で色々なことを考える経験ができ考え方を広げることができ、とても大きな財産になりました。

研究のことばかり書いてきましたが、イタリアではとても楽しく生活できました。イタリア人はとても陽気で、テニスコートでテニスをしている集団に突然声をかけてもテニスをしてくれますし、仲良くなると車に乗せて旅行に連れてイタリアの各地に連れて行ってくれたりとても楽しかったです。イタリア人はいつも陽気で明るくて楽しそうで、また他にもたくさんの日本とは異な文化化や考え方に触れることができ、素晴らしい人生の経験になりました。

私は皆様に多大なご支援を頂きこのような貴重な機会を与えて頂いて素晴らしい経験をさせて頂き、『ハイドロリリースの作用機序』の研究を少し進められました。本当にありがとうございました。今後もハイドロリリースとこれに関連したこの新しい分野の研究を進めたいと考えております。これらの研究や臨床の内容や、またこれとは関係無く留学に興味のある先生がいましたら、自分のできる限り協力させて頂ければと思いますので、是非お声をかけて頂けますと幸いです。留学中に学んだことを日々の臨床・研究に生かし、今後の運動器医療の発展に役立てることでできるように精進していきたいと思います。

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研究風景

独立行政法人国立病院機構 相模原病院 堀口 雄平先生(平成28年入局)

はじめに

2014年(平成26年)札幌医科大学卒で、2016年入局の堀口雄平と申します。大学病院・関連病院での研修を経て、整形専門医を取得後、2022年(令和4年)4月から神奈川県相模原市にある相模原病院に2年間国内留学させていただきました。

関節リウマチでの留学の経緯について

国内留学に至った経緯ですが、専門医取得前の関連病院で多くの外来・手術患者と関わる中で、整形外科の治療の根本は、薬物を中心とした保存療法であり、手術療法は変形を治すことであるという私見に至りました。また、北海道の地域医療では常勤医の少なさから変性疾患を複数部位扱える重要性を感じ、それらを満たす関節リウマチを専門として志すことを決意しました。
研修医時代の北村公一先生の影響は計り知れませんが、ノイヘ・チュウベン時に御指導頂き、相模原病院に留学された霜村耕太先生から充実した研修内容について聞き、私自ら研修を希望致しました。
寺本教授の御厚意もあり、霜村先生にコンタクトをとっていただき快く国内留学、研修を受け入れて頂きました。

独立行政法人国立病院機構 相模原病院について

相模原市は、神奈川県の北西部に位置し、人口は約72万人で横浜市、川崎市に続く3番目の政令指定都市です。神奈川といえば、湘南のような海沿いのイメージが強いかと思いますが、内陸に位置します。独立行政法人国立病院機構 相模原病院は、病床数458床でリウマチ・アレルギー疾患の準ナショナルセンターとして位置づけられております。そのため、リウマチだけでなくアレルギー部門でも多数の国内留学生が在籍しておりました。近隣には北里大学病院がありますが、相模原市には市立病院がないため、日夜救急搬送も積極的に受けいれておりました。1938年開院の歴史を感じさせる佇まいであり、近々立て直す予定でしたが、コロナの関係で延期となっております。関節リウマチ診療、手術において全国で最も多い施設の一つであり、国内リウマチ患者の約2%を占める最大のデータベースであるNinJaの拠点施設となります。

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相模原市
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相模原病院

相模原病院 整形外科について

整形外科としましては、東京大学整形外科の関連病院であり、常勤は上級医5人、ローテーター5人の10人体制となっております。2022年度の手術件数は911件で、リウマチ関連手術は120件で東大関連病院最多となっております。私は、関節リウマチ・人工関節チームに所属し、岩澤三康先生と内藤昌志先生の2人のリウマチ専門医から指導を受けながら、関節リウマチ・人工関節手術を約200件担当させて頂きました。また、リウマチ内科とも連携し相談しやすい環境でもあり、薬物コントロールも学びました。整形外科一般の診療・手術も行っており、専門医取得前から変性疾患を中心に執刀する東大ローテーターから刺激を受けるとともに外傷の前立ちもさせて頂きました。東大ローテーターの執刀数は年間約100件であり、若手のうちに、札医関連病院で倍以上の執刀を担当させていただけるのは、恵まれた環境であると改めて感じました。

相模原での執刀症例
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人工股関節全置換術
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人工足関節全置換術
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人工膝関節全置換術
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足趾形成術

相模原での生活・観光について

相模原での生活ですが、病院裏の徒歩5分の病院運営の宿舎に住んでおりました。最寄駅は「相模大野」という小田急線の中心駅であり、新宿まで直通40分、横浜までは乗り換え1回1時間で行くことができました。電車も数分おきに来るため、県内ならびに都内にもアクセスしやすく、今まで訪れたことのなかった観光地巡りを楽しんでおり家族も喜んでおりました。

最後に

北海道、また札幌医大関連病院を離れるのは当初不安がありましたが、同病院で岩澤先生、内藤先生をはじめ上級医より丁寧に御指導頂き、また1学年上の札医出身のローテーターがいたこともあり、楽しく仕事を行うことが出来ました。若手の時は色々な病院でのやり方を学ぶのが良いと言われますが、医局が違う先生方の手術方法や考え方、治療方法に触れるのも非常に有意義と実感しました。

関節リウマチは分子標的薬時代に入り、手術件数ならびに人工関節を中心とした大関節手術は減少しております。時代に逆行している中ではありますが、その分関節リウマチ手術を多数経験出来たことは一生の財産になりました。関東に比較すると、北海道における整形外科医による関節リウマチ診療はまだ進んでない面もあるかと思います。今後、専門医取得前の先生にも是非関節リウマチ疾患に興味を持って頂ければ幸いです。

今後さらにリウマチ診療に精進し、北海道の地域医療に貢献したいと思っております。最後にこの留学の機会を与えて頂きました寺本教授をはじめ、教室員の皆様に心より深く感謝致します。