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国際大会への帯同 | |
● | オリンピック
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● | ユニバーシアード、ユースオリンピック
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● | ナショナルチーム、プロチームメディカルサポート
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● | ナショナルトレーニングセンター競技別強化拠点 医科学サポート
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国内大会への帯同 | |
● | 国民スポーツ大会(旧名称:国民体育大会)
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● | 学生全国大会 | |
● | アマチュア、学生チームメディカルサポート
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ソチ冬季オリンピックは2014年2月7−23日の17日間にわたり開催されました。オリンピック日本選手団の本部ドクターとして参加する機会をいただいたのでその経験を報告します。オリンピックの帯同は前回のバンクーバーに引き続き2回目で、本部ドクターは3人、トレーナーが1人でした。メディカルスタッフの札幌医大出身者は合計5名で、オリンピックでも大きく貢献しています。日本選手団は男子48人、女子65人で計113人(役員を含めて248人)となり、海外で開催した冬季五輪では過去最多でした。日本選手の最年長は41歳の葛西紀明選手(スキージャンプ)で、「レジェンド」の呼び名がすっかり浸透しているようです。大会前に危惧されたテロ活動もなく、競技の運営自体も素晴らしいものでした。また大会運営には多くのボランティアが動員されており、皆さん笑顔で挨拶や声をかけてくるなど、非常に親切に対応してくれました。
オリンピックの医学サポート活動のうち最も重要なのが事前準備です。大会や合宿への帯同などにより、選手だけでなく指導者やメディカルスタッフとコミュニケーションをとり連携を図りました。オリンピック候補選手には国立スポーツ科学センター(JISS)にてメディカルチェックを行います。260名を超える選手がチェックを受けました。この結果を受けて、治療やコンディション調整、ドーピングへの対策を行います。感染症対策としてほぼ全員にインフルエンザワクチン接種を行いました。報道されていたような有望選手を含む複数の傷害保有選手については、主治医の先生とコンタクトをとることにより情報を得て現地での対策を立てました。そのほか持込み用医薬品の準備などもあります。これらの準備がオリンピックの医学サポート活動の成否に大きく関わります。出発前にこれらを整えるとほぼ8〜9割は仕事が済んだとも思えます。
選手村には開会式の1週間ほど前に入りました。スケートなどの氷系の競技会場(coastal cluster)は沿岸の平地に、スキーなどの雪系の会場(Mountain cluster)は約50q離れたコーカサス山脈の中に設置されました。そのため選手村は2か所となったので、私はcoastal cluster選手村に滞在しました。競技場、選手村の建物は全て新たに建設された雰囲気の良いマンション群でした(図1)。ほとんどの人が相部屋で、その中にメディカルルームを設置しました。食堂は体育館のように広く、イタリアン、アジア、中近東など各国の料理がフードコートのように並んでいました(図2)。その一角にハンバーガーのマクドナルドが公式スポンサーとして出店していました。最初は物珍しさも手伝って各国の料理を食べていたが、徐々にマクドナルドの利用頻度が上がっていきました。選手村内の他の施設としてはフィットネス施設のほか、ゲームセンター、映画ルームなどの娯楽施設もそろっていました。選手村内のクリニックには、内科、整形外科、婦人科、泌尿器科、眼科、歯科、小手術室などが設置され、血液検査やレントゲン・超音波などの画像検査も可能でした。
図1 選手村奥にアイスホッケー会場が見えます。 |
図2 選手村内のダイニングカフェテリア形式で世界各地域の料理を食することができます。マクドナルドも出店しています(左)。 |
大会期間中の業務としては、メディカルルームでの病気、傷害の治療、各競技への帯同、ドーピング対応などのほか、IOCから外傷と疾病についてのレポートを毎日提出するように求められました。整形外科的な疾患の発生は主にMountain clusterで発生しました。前十字靭帯損傷や骨折など、競技に影響を及ぼす外傷も複数ありました。Coastal clusterの選手村で最大の医学的出来事は、インフルエンザの発生でした。選手団の集団発生を防ぐために選手の隔離、接触者への予防投与など対策を迅速に行い、いずれも単発の発症に抑えました。オリンピックにおけるドーピング検査数は大会ごとに増加しています。今回の大会前にはバンクーバーより57%増の1200件以上、大会中を合わせた総数も約300件増の2400件以上の検査が予告されていました。現在のところ6名の選手に違反薬の陽性反応が出ており、そのほとんどが興奮剤でした。検体は10年間保存され、新しい検査法が確立されたらさらに検査が行われます。
オリンピックには葛西選手以外にもすごい「レジェンド」が存在します。男子バイアスロンで2冠を達成したビョルンダーレン(ノルウェー)は40歳で、冬季オリンピックでのメダル数を新記録となる13に伸ばしました。男子アイスホッケーでアメリカを破って銅メダルを獲得したフィンランドのキャプテンは、43歳のセラニです。いまだに北米アイスホッケーリーグ(NHL)でも活躍しており、オリンピックは1998年の長野から出場しています。日本にもまだいます。女子スピードスケートの田畑真紀(39歳)は、1994年のリレハンメルオリンピックが初出場で今回が5度目です。バンクーバーオリンピックで銀メダル獲得後に自転車競技に転向し、ロンドンオリンピック出場を目指しました。惜しくも代表とはならなかったものの、再びスケートに復帰しいまだに自己記録を更新しています。本人を見てもやめる気などさらさらない印象です。
日本選手団は今大会で金1、銀4、銅3、計8個のメダルを獲得し、計20の入賞を果たしました。メダル獲得数は長野大会の10個に次ぐ歴代2位であり、海外での大会としては最多でした。ジャンプの葛西選手や団体戦でメダルを獲得してくれましたが、ジャンプのナショナルトレーニングセンターである大倉山での医学サポートは、札幌医大附属病院スポーツ医学センターで担っていました。そのため、久しぶりにオリンピックでジャンプ選手がメダルを取ってくれたことには喜びもひとしおでした。選手の活躍については豊富な報道があったと思われるので、詳細についてはここではあえて触れないでおきます。帯同業務は色々なストレスもある一方、これらの感動を間近で与えてくれるものでもあります(図3)。このような活動は、職場の長をはじめ同僚の皆様の理解と協力があって初めて可能となります。札幌医大は伝統的にそのような環境が整っています。このような活動を行うにあたりお世話になった方々にこの場を借りて深謝いたします。また、トップアスリートの医学サポートに携わることで得たノウハウは、通常の診療に多くの面で応用が可能であることも感じています。札幌医大附属病院スポーツ医学センターでも、今回の活動を選手の治療に生かしたいと考えています。
図3 フィギュアスケート団体戦羽生選手が男子ショートプログラムで完ぺきな演技を見せ1位となりました。各国のチームごとに応援合戦も繰り広げられた中、鳥肌の立つような瞬間でした。 |