神経系に作用し麻酔作用を発揮する全身麻酔薬は、期待する鎮静作用以外にも神経系に悪影響を及ぼしうることが報告されており、われわれは「脳腸相関」に着目してそれら有害事象に対する予防的アプローチを検討しています。また、近年麻酔科領域でも注目を集めている「フレイル(Frailty)」に関しても基礎研究を進めています。
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幼若脳麻酔薬神経毒性と腸内細菌
小児患者は手術時の安静保持が困難であるため、全身麻酔下で手術を受けることが一般的です。しかし、幼若期における全身麻酔薬曝露は、神経発達に対して悪影響を与え、成長後の学習能力障害をもたらすという動物実験結果が、2000年代に報告されています。近年、ヒトを対象とした大規模臨床研究が実施され、それらの結果をまとめたメタ解析の結果、単回短時間の全身麻酔薬曝露であっても、成長後の社会性行動スコアが悪化することが示されました。しかし、いまだにその詳細な機序も明らかにされておらず、予防法も確立されていないのが現状です。この幼若脳麻酔薬神経毒性に対し、脳腸相関を用いた解析を実施しました。
幼若期ラットに対して全身麻酔薬セボフルランを曝露したところ、Bacteroides門の細菌種が増加する一方で、Firmicutes門の細菌種が減少することを明らかにしました。Firmicutes門には、ビフィズス菌や酪酸菌に代表される人体に必要な代謝産物を産生する細菌が多く含まれています。そこでわれわれは、麻酔曝露を受けた幼若ラットに対し、健康なラットから採取した腸内細菌サンプルを投与したところ、Bacteroides門が減少する一方で、Firmicutes門、特に酪酸産生菌が増加して、成長後の学習能力が向上することを明らかにしました(表)。また、糞便中の酪酸濃度が上昇し脳発達を促進する脳由来神経栄養因子(BDNF)の発現が増加することも明らかにしました(図3)。
これらの研究結果を元に、現在酪酸産生菌の経口摂取、酪酸や酪酸前駆物質の投与による幼若脳麻酔薬神経毒性予防効果を検討中です。さらに、これらの予防法を臨床応用すべく、ヒト小児における周術期腸内細菌叢変化やプロバイオティクスの効果を検証する臨床研究も実施予定であり、研究の幅を拡大していく予定となっています。
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術後せん妄と腸内細菌
術後せん妄の予防や抑制に関して、周術期を管理するわれわれにとっては避けては通れない題と考えています。麻酔・手術侵襲によってマウスはせん妄様の行動異常を呈し、かつ腸内細菌叢の多様性が変化することを捉えました(図4)。術後1日程度の短いスパンで、外的ストレスによって腸内細菌叢の構成が変化し、多様性を欠損させることが生体へ影響している可能性があると考えています。これらの術直後から起こりえる腸内細菌叢の多様性維持を狙って難消化性オリゴ糖であるラフィノース(RAF)投与したところ、腸内細菌叢の構成が維持されただけでなく、行動学的変化も改善しうることが明らかになりました。つまり周術期のラフィノース投与によって、術後における『認知行動の向上の可能性』を証明したことになり、術後せん妄回避のための新展開が生まれそうです。
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周術期神経認知機能障害
今後の目標としては、実臨床上での周術期神経認知機能障害(PND: Postoperative neurocognitive disorder ※術後せん妄を含む)が少しでも抑制できるように、基礎研究の結果をもとにアプローチしていきたいと思っています。また、周術期管理に関わる当事者で横断的に予防・治療のエビデンスを作ることを目標に、基礎・臨床の両面からエビデンスを積み重ねていくことを目標に掲げたいと考えています。
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フレイル(Frailty)と麻酔
フレイルとは「加齢に伴う臓器機能の変化や予備力の低下によって、外的ストレスに対する回復力が低下した状態」です。フレイルは、手術予後を悪化させることがすでに知られており、かつ術後せん妄発症のリスクを増加させるため、周術期には注意しなければならない背景のひとつです。予備実験としてフレイルモデルマウス(老化促進マウス)に対して開腹盲腸切除術を施行し、手術前後のマウスの行動を比較したところ、フレイルマウスでは術後オープンフィールドテストで総移動距離の減少、休息時間の増加、中心領域滞在時間の低下を認めました(図5)。つまり、フレイルマウスは手術侵襲によって運動・認知機能が低下し、せん妄様行動が増加したことが示され、ストレスに対する虚弱性が顕著でした。現在、このフレイルモデルと老化に関与するとされるサーチュインとの相関性をみています。また、サーチュインがフレイルにおけるマーカー的な役割となりえるのではないかという仮説のもと、複数の実験系を進めています。