札幌医科大学 医学部 薬理学講座

研究紹介

サーチュインの研究
 「なぜ老いるのか?」「なぜ寿命があるのか?」この疑問は現代科学に残された未解決の大きな疑問です.老化の研究はこの20年間に著しい進歩がありました.これまで全くわかっていなかった老化や寿命のメカニズムが,酵母や線虫といった下等な生物の研究や人の遺伝性疾患(早老症)の研究,さらに培養細胞の研究からしだいに明らかとなりつつあります.
 分裂酵母の研究から,酵母では細胞に輪状になったリボゾームDNAがたまっていくことが老化の大きな原因であると報告されました.線虫の研究からはdaf-16(ヒトのdaf-16に相当する蛋白質にはFOXOという名前がついています)という転写因子(転写因子はDNAからmRNAを作る働きに関係しています)の活性が高まると長寿になることや,インスリンやその仲間のホルモンがdaf-16の活性を抑制して寿命を縮めることがわかりました.沢山のミュータント(変異)線虫を作ってその中から長寿の線虫を探すといった地道な研究から次第に多くのことがわかってきました.ふつうの線虫の6倍もの寿命を持つ線虫も作られているようです.早老症という病気の研究からは遺伝子の修復機能が悪いと老化が早くなることがわかりました(遺伝子は活性酸素や放射線,紫外線などにより切れたり,DNAの一部の構造が変わったりします.障害された部分を元の状態に戻す機能がDNA修復機能です).また,培養細胞の研究からは染色体の端にテロメアという構造があって,細胞分裂とともにテロメアが短くなり一定限度以下になると細胞は分裂できなくなることがわかりました.
 私たちはサーチュインという蛋白質の脱アセチル化酵素を研究しています(体の中の蛋白質にはアセチル化という修飾を受けるものがあり,アセチル基(-COCH3)がくっつく,外されることでその蛋白質の機能が変化します.蛋白質についたアセチル基をはずす酵素が脱アセチル化酵素です).サーチュインは酵母で発見され,酵母の寿命の鍵を握る輪状リボゾームDNAをできないようにする働きを持っています.酵母のサーチュインSir2を無理やり大量に酵母で作らせるとその酵母の寿命は伸びることが報告されました.ですから,サーチュインは長寿遺伝子と呼ばれることがあります.
 ヒトなど高等な動物もサーチュインを持っています.ヒトのサーチュインにはSIRT1からSIRT7まで7種類ありますが,この中ではSIRT1の研究が最もよくおこなわれています.これまで10年余りに渡る世界中の研究者らの研究でSIRT1をはじめとしたサーチュインは実に多彩な働きをすることがわかってきました(下図).

図の黄色に塗られた部分の働きは高等動物のみならず酵母でも機能することが知られていて,長い時間をかけた生物の進化の中でも保存されてきた大切な機能と考えられます.一方,赤色の部分は高等動物のみに示されている機能です.サーチュインの働きを見ますと,老化に関係する機能とオーバーラップする部分があることに気づきます.また,サーチュインは代謝と大きな関係を持っています.これはサーチュインがおこなう脱アセチル化反応にNAD+ (ニコチンアミドアデニンダイヌクレオチド)という補酵素が使われるからです.摂取したり体内にストックした糖質や脂質が十分に分解利用されるとNAD+はNADHとなります.食べ物が少ない状態ではNADHがあまりできずにNAD+が増えます.NAD+が多いとサーチュインの活性が高まります.SIRT1の代謝における働きは一言で言うと「食べ物不足のときに,遣り繰りして少ない食べ物でどうにかこうにか体を生かせ続ける」という機能です.摂取する食べ物(カロリー)を減らすと,酵母からネズミまで寿命が少しですが確実に伸びることが知られています.サーチュインが直接寿命を延ばすかどうか怪しいところですが,このような食事制限下状態ではサーチュインの活性が高まることは確かです.DNAを修復する機能が悪いと癌になりやすかったり老化が進んだりしますが,サーチュインはDNAを修理する方向に働きます.
 また,活性酸素や紫外線,放射線など様々なストレスに対して細胞の耐える力が弱いと寿命が縮まり,逆にストレス耐性を高める操作をすると研究レベルでは寿命が延びるという実験があります.サーチュインはストレス耐性を高める方向に働いています.
 一方,人や動物では不明ですが,酵母サーチュインは2つある性の遺伝子の一方を発現しないようにする働きが知られています.性は子孫を残す大切な機能で寿命の長い生き物は子育ての期間が長く,性成熟は遅くなります.さきほど述べた食べ物の少ない状態でも体を生き長らえさせるということも子孫を残すことに繋がると考えると,遺伝子を残し子孫を残すための仕組みの1つとしてサーチュインがあるのかもしれません.

SIRT1
 私たちは主にSIRT1の働き調べることから,サーチュインが病気とどのようにかかわっているか,特に薬物などでサーチュインを人工的に調節することにより病気の治療に役立てられないか調べています.
 SIRT1を活性化させると細胞のストレス耐性が高まります.細胞が徐々に死んでいって心機能が悪くなっていく慢性心不全や,遺伝的に筋肉の力が落ちていく筋ジストロフィー症という病気があります.mdxマウスジストロフィン遺伝子の異常により筋ジストロフィー症を示すmdxマウス(男の仔)これらの病気をもつハムスターやマウス動物モデルでは,レスベラトロールによるSIRT1の活性化が治療効果を持つことを示しました.
 レスベラトロールはブドウや赤ワインに含まれている天然のポリフェノールであることがよく知られています.レスベラトロールの抗酸化作用は少し毛色が変わっていて,主にSIRT1を活性化させ細胞内の抗酸化機能を高めることによりその作用を発揮します.実際,細胞にSIRT1がないような状態にしておくとレスベラトロールの抗酸化作用はとても弱くなります.SIRT1の活性化がどうやって活性酸素を減らすことができるかはまだ完全にはわかっていないと考えています.また,SIRT1活性化による筋ジストロフィー症などの治療法が実際の人の病気に役立てられるかはこれからの私たちの課題です.ストレス耐性を高めるSIRT1の機能は,癌では逆に癌細胞の生存をもたらし悪い方向に導くかもしれません.実際,SIRT1を邪魔してやると特定の癌では癌細胞の生存が抑えられます.また,別の種類の癌ではSIRT1の阻害により転移がはっきりと抑制されます.SIRT1の働きを邪魔するとなぜ転移が抑制されるのか,まだ知られていないメカニズムが働いていると睨んでいます.一方,神経幹細胞にはSIRT1やSIRT3がたくさん存在しています.このうちSIRT1は神経幹細胞が神経細胞に分化することに大切な働きをおこなっています.サーチュインはどうも複数の働きをおこなって神経への分化に貢献しているようです.そのメカニズムを明らかとすることは「なぜ神経細胞ができるか?」という本質的な問いの答えに一歩近づけるものと思います.