札幌医大で学んだ42年と19年間の教授人生を振り返って想うこと
眼科学講座
教授 大黒 浩
令和7年3月末で札幌医科大学を退職いたしました眼科学講座の大黒浩(札幌医大31期)です。大学入学後、弘前大学医学部に在籍していた5年を除いて42年間(卒前6年間、卒後36年間)の長きにわたり札幌医大に大変お世話になり多くのことを学ぶことができました。また幸運にも19年間眼科学講座を任され、札幌医科大学に少しは恩返しができたのではないかと思っております。
退職にあたり教授人生を振り返り一番に想うことは、多くの偉大な恩師の先生との出会いに恵まれたことで今の自分があることです。中でも眼科臨床および教育では弘前大学時代にご指導いただいた故中沢満教授です。中沢先生は、超一流の優れた眼科診療に加えて眼部形成を含めたほぼ眼科領域のすべての手術を完璧に執刀し、また生き字引と思われるかのようにマイナーな眼科関連の症候群すべてをご存じでした。加えて中沢先生の温厚な人柄も素晴らしく、弘前大学の5年間ただの一度も中沢先生が怒るなどのとり取り乱した姿を見たことはなく、いつも冷静沈着な先生でした。このように中沢先生の圧倒的な人間性、臨床力を傍で見て勉強できたことは現在自分の大きな得難い財産になっております。また2006年に札幌医大の教授を拝命した後も中沢先生には何度も難症例の相談に乗っていただき、困難を何度も無事乗り切ることができました。残念なことに3年前コロナで中沢先生が70歳前の若さでお亡くなりになられたことは私ども門下生のみならず、日本の眼科にとっても大きな損失だったと思います。改めてご冥福をお祈りいたします。
一方研究面では元札幌医科大学学長の秋野豊明先生が主宰されました第一生化学の先生方との出会いがなければ今の自分の研究はなかったと感じております。そもそも私が教授を目指した最大の理由は、自分のラボで自由な研究がしたかったことです。以前から、教授になる前の研究は誰かのラボで行うのに対して、教授になった後の研究は自分のラボで行うもので何か新たな研究に挑戦する必要があると考えていました。実際私が教授就任後の研究の方向性を決めるヒントとなったのは、第一生化学でお世話になった黒木先生(前第一生化学のちに医化学教授、元医学部長)と深田先生(のちに前東京大学理学部教授)で、黒木先生はサーファクタントのご研究からから自然免疫に、深田先生は視細胞の研究から生体時計と新たな分野を開拓し、輝かしい研究成果を上げてこられたのを傍から見ていました。
しかし教授就任後一刻も早く自分のラボで研究したかったですが、着任当時、前教授が長く病気療養後でまず臨床を立て直す必要がある状況で、立て直しに10年もかかってしまい、残り9年でやっと自分のラボで研究ができるようになりました。その際、新たな研究テーマの着想にあたり原点の第一生化のことを思い出しました。私が大学院生でお世話になった当時、第一生化は秋野先生が立ち上げたラボで、ご自身の脂質の研究を黒木先生に託した3研、新たにタンパクの研究を託した深田先生の1研、cell biologyの研究を託した長田先生の2研がありました。私は深田先生の1研で育ってきましたが、今回は今まで継続してきた第一生化学1研の延長ではなく、2研のcell biologyと3研の脂質関連のテーマで研究しようと思いました。そこでさっそく当時眼科教室助教の日景君(前札幌医科大学眼科准教授、病院教授、現在札幌市内で開業)をミシガン大学に留学させ、3D細胞培養の技術を勉強させました。多数の3D培養の手法の中で、日景君が持ち帰った3D培養は特殊な培養プレートを用いたドロップ培養すなわち培養液の雫の中で細胞培養するものでした。現在この培養プレートは3Dプリンターを用いて独自に再現作成し市販されていないのでおそらく世界中で札幌医科大学眼科でのみ行っている方法です。この3D細胞培養を用いて眼科関連の様々な細胞(角膜細胞、強膜細胞、結膜細胞、眼窩繊維芽細胞、線維柱帯細胞、網膜色素上皮)を用い、今まで2D培養で行ってきた成長因子および薬物に対する効果の検討を行ったところ3D培養では全く異なった効果がみられることがわかりました。さらに3D培養で形成されるスフェロイドの形状に着目したところ正常細胞ではすべて球状のスフェロイドを形成するのに対して、癌細胞では非球状の変形したスフェロイドを形成することもわかり、3D培養が眼科関連研究のみならず癌の研究にも応用できる可能性が示唆されました。そこで本学皮膚科の宇原教授からメラノーマ細胞、宮崎教授から口腔扁平上皮癌細胞、腫瘍内科の高田教授から膵癌細胞、産婦人科の斎藤教授、松浦先生から卵巣癌、分子生物の鈴木教授からがん関連線維芽細胞を提供いただき多くの新知見を発表できました。一方3D培養の弱点であるスフェロイド表面と深部の酸素および栄養濃度勾配が、心筋壁深層の栄養状態を模倣できるのではと考え、さっそく循環器腎代謝内分泌内科の矢野准教授からラット心筋芽細胞を提供いただき3D培養したところ、通常の2D培養では見られない心筋細胞間では信号伝達に必須な介在版という強固なgap結合関連因子の自然発現が確認され、3D培養により単純な心筋壁モデルを模倣できる可能性も示唆されました。このように従来の2D細胞培養に比べて3D培養の中で最も単純な3D スフェロイド培養でも2D培養とは全く違う生物活性を持ち、すでに未熟な臓器と考えたほうが良いと考えています。従って、3D細胞培養は実験動物の犠牲を最小限にできる素晴らしい手法で今後ますます進化し、生命科学に貢献すると確信しています。
さらに脂肪関連の研究を行うために循環器腎、代謝内分泌内科で脂肪酸関連の研究を行っている古橋講師(現在循環器腎、代謝内分泌内科教授)と、また細胞代謝である解糖系とミトコンドリア呼吸の解析を得意としている細胞生理の佐藤准教授との3名による共同研究も5年前より本格的に始まりました。思い返せば解糖系と電子伝達系は秋野先生が生化学の講義の中で、山ちゅうの山といっておられたことを懐かしく思い出し、自分が行う研究はやはり第一生化の秋野先生と深い縁につながるのだと改めて思います。解剖学的に眼球の周りには豊富な脂肪組織があるのに対して眼球内には全く脂肪組織や脂肪細胞はありません。しかし調べてみると不思議なことに、眼球内にも脂肪代謝関連因子が多数存在していました。しかしながら、それらが何をしているのかほとんどわかっていませんでした。脂肪酸結合蛋白質(fatty acid binding protein, FABP)は生体内で脂肪酸(fatty acid, FA)を細胞内の各セグメントに運ぶことにより脂肪酸代謝関連の生命現象を制御する重要な因子です。FABPファミリーは分子量約15kDaの蛋白質群で、ヒトでは10種類のisoform(FABP1-9および12)が同定され、それぞれのisoformが生体内の異なる部位に発現し、多岐にわたるFA関連の生命現象に関わることが知られています。一方FABPは多数の疾患の病因にも関わることが知られており、病態マーカーと同時に新たな治療ターゲットとしても注目されています。中でもFABP4は脂肪細胞およびマクロファージに発現し、血液などの体液に分泌され、血中FABP4濃度が高血圧(HT)、糖尿病(DM)等の循環器代謝疾患で上昇する事から、これらの疾患の病態にも深く関わる事も報告されています。一方FABP5は元々皮膚由来のFABPとして同定され、その後FABP4同様、体液中に分泌され、循環器代謝疾患に加え、癌でも発現上昇が見られ、これらの疾患の病態との関連が注目されています。しかし眼科関連ではFABP5が水晶体上皮や涙液などでの同定に関する研究報告のみでした。我々の研究グループはFABP4およびFABP5と関連するHT、DM等の代謝疾患を背景とする各種網膜疾患の病態においてもFABP4およびFABP5が関係する可能性を考え、網膜静脈閉塞症(RVO)および増殖糖尿病網膜症(PDR)患者の手術時に採取した硝子体サンプルとコントロールとして網膜前膜(ERM)患者の硝子体サンプル中のFABP4およびFABP5濃度を測定し比較検討したところ、RVOではFABP5が、PDRではFABP4の濃度上昇が見られました。さらに各種血液生化学データー等との相関を調べたところFABP4 およびFABP5は独立する新規の病態因子であることも分かりました。このように眼球内の脂肪に関係無いFABPに関する研究成果は全身の別の臓器や癌の研究にも応用できることがわかり学内の関連する教室と多数共同研究も現在も進行中です。
以上最後の5年間は、まるでタイムマシンで生化学の大学院生のころに戻ったように研究に没頭でき、毎週、教室員や大学院生が持ってきた新しいデーターを次々と論文にまとめ、気が付いてみるとpublishされたもの、投稿中のものを含めると英文研究論文90編以上と人生の中で一番論文を執筆した自分があり、少しは関連する分野のサイエンスに貢献できたのかなと思っています。
退職後は妻のクリニックの1使用人として元気なうちは地域医療に携わる傍ら、必要としてくれれば眼科教室の研究のお手伝いをしたいと思っています。以上少し長くなりましたが弘前大学の故中沢教授、第一生化学で秋野先生や黒木先生、深田先生をはじめ多くの先生とお会いできたことや、私と一緒に臨床、教育および研究に汗を流してくれた多くの教室員との出会いは、私にとってかけがいのない人生の宝であり財産です。皆様に心より感謝するとともに、このような貴重な経験をさせてくれた札幌医科大学の益々の発展を祈願いたします。また今後の未来の札幌医大出身のスパードクターたちの輝かしい活躍楽しみにしています。