退職にあたって
札幌医科大学医学部 細胞生理学講座
教授 當瀬 規嗣
令和6年3月末をもって、札幌医科大学を定年退職いたしました。縁あって同じ電気生理学を専門されていた札幌医科大学医学部生理学第一講座の藪英世教授に招かれて、平成6年に札幌医科大学に移動いたしました。そして、平成10年に藪教授の後任として生理学第一講座の教授に昇任しました。30年間にわたる札幌医大での教育研究生活を振り返ると、十分やり切った感を持ちつつも、達成できてない点もありました。でも、あっという間の30年でありました。
研究テーマは、研究生活の大半において「イオンチャネルの機能と構造の連関」でありました。イオンチャネルは、細胞の電気活動、すなわち興奮現象の源となるタンパク機能分子です。今でこそ、生物のあらゆる活動に大なり小なりかかわりがあることが分かっていますが、私が北海道大学大学院医学研究科で研究を始めた頃は、イオンチャネルの存在が実体としてわかり始めた頃でした。イオンチャネルの存在を私に教えてくださった、北海道大学医学部薬理学第二講座の菅野盛夫教授にお願いし、大学院で研究を始めました。新しい研究法として開発されたパッチクランプ法を習得する道を開いてくださったのも菅野教授です。教授のご紹介により、岡崎国立共同研究機構・生理学研究所の入澤宏教授のもとに大学院生の身分のまま、国内留学することができ、実際にパッチクランプ法を習得することが出来ました。当時、世界でも数えることができる程度の限られた研究室でしか行われていなかった最先端の研究技術を大学院生のうちに修得できたことは、きわめて幸運であったと思っています。パッチクランプ法を含めた心臓電気生理学的手法により、その頃注目を集めていたプロテインキナーゼCやアドレナリンα受容体刺激の心筋イオンチャネルに対する作用の検討を行い、学位論文をまとめることができました。
その後、入澤先生のご紹介により、アメリカ合衆国シンシナチ大学生理学生物物理学講座に留学することになりました。講座を主宰するチェアマンであるNicholas Sperelakis 教授のもとで、心臓電気生理学の研究を進めることになりました。本格的なパッチクランプ実験装置をシンシナチ大学に導入して、発生期心筋のイオンチャネルの性質についての研究を行いました。Sperelakis教授の全面的協力により、約二年間の留学中に7編のファーストオーサー論文をJ Physiol, Am J Physiol, Circ Resなどのコアジャーナルに発表することが出来ました。
帰国後、薬理学第二講座で、心臓作用薬の心筋イオンチャネルへの影響を検討し、ANPの心筋細胞L型カルシウムチャネルに対する抑制作用を見出しました。この業績は高く評価され、日本心電学会木村栄一賞を受賞することになりました。
そして、札幌医科大学に移動後、イオンチャネルの機能をタンパク構造と関連づけて研究することの必要性を実感し、イオンチャネル遺伝子のクローニング、細胞への遺伝子の導入、など分子生物学的手法を取り入れ、これとパッチクランプ法による機能解析を組み合わせて、イオンチャネルの実像に迫ることを考えました。とりわけ、米国で得た発生期心筋細胞へのアプローチを材料として、発生期心筋の興奮収縮連関の成立過程や心臓自動能開始機構の解明に挑むことにしたわけです。興奮収縮連関や心臓自動能においてイオンチャネルがどのような役割を果たしているのか明らかにしようと考えた訳です。
まず、ラット発生期心筋において大きく変化する内向き整流性カリウムチャネルの遺伝子発現と電流量を比較して、特定のサブタイプのみ発生期に増大することを発見しました。
また、ラット発生期に比較的長い活動電位幅が誕生後に急速に短くなることが分かっていましたが、その理由が、活動電位幅を規定する一過性カリウムチャネルのβサブユニットの発現が、誕生後に急速に増大するためであることを、アデノウイルスに組み込んだβサブユニットのsiRNA導入法により証明しました。
一方、ラット胎生期から新生児期にかけて、興奮収縮連関に大きな変化があることが分かり、その中心となる細胞内カルシウム濃度の大幅な変化、いわゆるカルシウムトランジェントを蛍光色素の顕微測光による直接的な観察を行いました。そして、カルシウムトランジェントが胎生期は比較的ゆっくりとした変化であるのに、誕生後の1週間の間に急速な変化に転じていくことが分かりました。この変化は、筋小胞体およびT管の発達が誕生後1週間の間に起こることが原因であると明らかにできました。この研究には麻酔学講座のメンバーが参加してくれました。
発生期の現象とは直接関係はありませんが、ラット心筋のL型カルシウムチャネルが、これまで言われていたβ2aサブユニットでは説明できないことに気づき、ノーザンブロット等の解析により、β2cサブユニットがL型カルシウムチャネルの構成サブユニットであることを見出しました。そこで、培養細胞への発現とパッチクランプ法により、このサブユニットが実際に働いていることを証明しました。さらに、麻酔学講座との共同研究によりシングルチャネルの活動を記録し、β2cサブユニットがNativeのチャネル活動を再現できることも証明しました。
こうした研究成果は、共同研究者である教室員のメンバーの多大なる努力により実現したことは言うまでもありません。また、臨床の各講座から学位研究のために多くの研究者が参加してくれました。その成果は、麻酔学講座との微小血管における内皮依存性拡張反応の研究、外科学第二講座との肺高血圧症での肺動脈収縮機構の解明、整形外科学講座との神経根結紮モデルによる神経根性疼痛における痛覚神経の過敏性に関するパッチクランプによる電気生理学的検討、内科学第二講座との糖尿病モデルラット心筋での一過性外向きカリウムチャネルの減少の発見など、多くの博士論文となって発表されました。
最近では、ラット心拍動開始機構の解明に着手しました。旧来から心臓の発生のごく初期に心拍動が開始されることは分かっていましたが、それがいつなのか、正確には観察されていませんでした。そこでまず、これを明らかにするために長時間の顕微鏡下でのビデオ撮影を繰り返し、受精後10日目のごく初期の時間帯と決定することが出来ました。そして、その際、カルシウムトランジェントが先にスタートし、その後に実際の筋収縮、すなわち拍動が起こることが明らかになりました。そして、イオンチャネルの遺伝子発現をRT-PCR法とin situハイブリダイゼーション法を合わせて検討し、拍動開始の主導権を握っているのは、L型カルシウムチャネルのCav1.3 であることを見出しました。T型カルシウムチャネルや過分極誘発内向きチャネルの変動には、拍動開始に対する説明力はないことも明らかになりました。
私の大学院から現在に至る研究期間は、ちょうど、医学、生理学の研究技法が飛躍的に発展した時期と完全に重なりました。パッチクランプ法に加えて、分子生物学の様々な手法、例えば、クローニング、RT-PCR法、細胞導入法などを取り入れました。そして蛍光色素の顕微測光法による細胞内物質の濃度測定も可能になり、それらの研究技法を組み合わせつつ、幅広く研究を展開できたことは、非常に幸運であったと思っています。これらの研究技法により、イオンチャネルという巨大タンパク分子の機能が、構造と密接な関係のもとに発揮されていることが、手に取るように分かってきました。もちろん、研究成果はまだ、道半ばであります。後進がこの後を継いで、この分野の研究を大きく発展させてくれるものと期待しているところです。
最後になりましたが、私の研究生活を支え協力してくれた、札幌医科大学の多くの共同研究者の皆さんに、厚く御礼を申し上げます。