附属病院長退任に際して
札幌医科大学附属病院
病院長 土橋 和文
大学施設の事前訪問などない時代、南1条正面に鎮座していた「ねこ募集」の不思議な看板と購買部の創設以来の古い玄関・寺院風の体育館(旧武徳殿)と異様な煙突をもつ焼却炉(人は葬儀と火葬場を備えた病院とみなした)に迎えられ、「しらけ」世代は、入学式当日、初めて、定員増の影響か施設の絶対的不足感のなか紛争後の真空のキャンパス?に闖入した。
以来、医学・医療を取り巻く環境は半世紀弱で激変、多くの先達・同輩・後輩諸氏、そして患者さんと御家族・医療チームの「羅針」もあり荒波を漂い、幾度かの後悔と道標を経て、今般、同期生として最後に札幌医科大学を漸く「卒業」させていただけることとなった。
元来確固たる医学・医療への信念はなかった。未来を予見するほど医学・医療は単純ではなった。より詳細な経緯は病院管理学教授の退任に際してAMICUSに拙文を掲載させて頂いた。2020年以来、新型コロナ感染症は風土と文化維持のための三要素:言葉(会話)、食(食事)、祭・祈(集い)が「三密」として忌避されたが、まさにこれこそが医療として最も重要なことと感じられる。ただ、後輩諸氏には何より「あずましい」毎日を過ごそうと心がけをお願いした。臨床力の基本は「聞く、診る、語る、記録する」と鍛えられた「型」をと思う。先輩諸氏から研修医時代に医療者とし生きる「型」をいただき、「型を守り」、「破ると努力」したが「離れられなかった」と見るべきだ。ただ、効率良く生きてきたとは思わない。少しは寄与したのだろうか?時代は変わる。継続は難しい。次世代にバトンタッチできたか?先輩諸兄から頂いた「金言」に造語を交え、変わって欲しくないものとして、次世代に託します。
医療者としての基本姿勢
- 患者さんの愁訴(主訴)が、受け持ち医が追求しようとしている問題と異なる事が少なくない。そんなときでも、その愁訴の追求と解決を怠ってはならない。
- 自分の関心のあるところだけを診るのではなく、頭部から足底まで、全体を診て異常を検出しなければならない。
- 診断の定まらない病状への追求の手をゆるめてはならない。
- 自分の勝手な思い込みまたは決めつけで、学問的でない判断をしないように警戒すること。常に、教科書や医学論文を参照すること。
- 細部をおろそかにしてはならない。しかし、細部にこだわって大局を見失ってはならない。正当な批判力を持つことが大切。
- 初診時の診断には、細心の注意と最大限の努力を払うこと。前医(の処置)についての不用意な批判を患者さんに聞かせることが医事紛争の最大のきっかけであることは忘れないようにする。
- 患者さんの問題ではあるが自分の専門ではない分野の問題を放置しないこと。自分の手に負えないと判断した問題については、速やかに専門家の援助を仰ぐこと。しかし、その専門家に委せきりにしないで、最後までその問題の解決を追求すること。
- 先輩の経験を積極的に学ぶこと。しかし、先輩や同僚の口伝えや見聞録を鵜呑にしないで、必ず自ら教科書や文献で確かめること。
- 医師だけでは診療できない。看護婦、薬剤師、コメディカル・スタッフ、事務要員、その他の人々を大切にすること。受け持ち医のチームや看護婦さんへの話に、大事なことでくい違いがないようにする。患者さんの不満、不安などのもとになる。カバーをしてもらえる仕掛けに心を配ること。
- バランスのとれた、十分な説明をした後の最後の選択は患者さんのものであることは忘れないこと。診療方針の押しつけは駄目。再発や悪化防止のための細かい注意事項を患者さんに良く勉強してもらうこと。悪化の早期発見の方法を覚えてもらうこと。急な事態への対応も良く知ってもらうこと。
末筆ながら、附属病院長の職務を終えるにあたり、これまでのご厚情、ご指導いただいた札幌医科大学諸氏および多くの関係諸氏に心より御礼を申し上げます。今後も立ち向かう気力のあるかぎり職務に向かい合いたいと思います。我が母校、札幌医科大学と最愛の附属病院、そして後輩諸氏の今後活躍と発展を祈念いたします。