退任教授・役職者

学長退任挨拶
6年間の理事長・学長の任期を終えて感じたこと ─本学の底力と課題─

塚本 泰司

平成28年(2016年)4月から島本和明 前学長の後任として本学の理事長・学長の任を仰せつかりました。本年(2022年)3月でその任務を無事終了いたしました。無事といってよいのかどうかわかりませんが、この時点に至ったことは事実です。

ご存じのように、私の任期中の令和2年(2020年)は本学の開学70周年(創基75周年)に当たっており、大学としても次のステップへさらに大きく飛躍するための分水嶺ごとき時点ととらえ、そのための準備も行っていました。しかし、折悪しく新型コロナウイルス(COVID-19)感染症のために最終的にすべての行事を断念せざるを得なかったことは、非常に心残りと言わざるを得ません。それ以外にも胆振東部地震によるブラックアウト、上記のCOVID-19による教育、研究、臨床への影響など、通常は経験しないような状況に遭遇しました。とくに後者は、いわゆるパンデミックの状況が第6波まで続くという長期間の対応を、現在もなお迫られています。

いまさら過去6年間のachievement(あったとすれば)を振り返っても何の発展もなさそうな気がしますので、その評価は関係された方々の判断に委ねます。それよりは、この6年間で、特にCOVID-19への対応で改めて認識した本学の「底力」にぜひ触れたいと思います。その一方で、それをさらに強固なものにして100周年を迎える戦略もどきも必要かもしれないという、雑駁ではあるかもしれませんが私見を述べたいと思います。これは、公立大学といえどもその将来を模索することを迫られる時代が来そうだという思いからです。

いずれもエビデンスのない私見が加わっていることをお断りしておきます。なお、これから記載する一部は、すでに今年度の新年の挨拶で話したものと重複している部分があることもご容赦ください。

1.本学の底力

既に良く知られているように、ここ2年間にわたり附属病院長(病院長)をはじめとする本学の教職員は、北海道あるいは札幌市における感染症制圧に非常に貢献してきました。実際、附属病院はこの感染症の重症および中等症の患者さんを中心に、令和4年(2022年)年2月末の時点で800名以上を受け入れ治療を行ってきました。附属病院の外でも本学の教職員が札幌市はもとより北海道各地でこの感染症に対する医療支援を行い、感染症対策を主導してきました。このような大きな貢献を可能にしたのは、「医学・医療の攻究と地域医療への貢献」という建学の精神を実践すべく大学創設以来70年以上にわたって培ってきた本学の底力であると考えて間違いありません。

どのような底力が発揮されたのか、私見ですが、その底力は5つくらいあると考えられます。

「底力:その1」

第1に、やはり建学の精神にある一行は無視できません。もちろん私たちの大学は、地域医療のみのために存在しているのではありません。私たちの究極の目標は秀でた医師も含めた医療人を養成することです。そして、そのためには研究と臨床の堅牢なプラットフォームがなくてはなりません。そして、この2つを礎とし医学・医療人教育をintegrateするシステム構築が不可欠です。このように考えると、建学の精神の「地域医療への貢献」の前にある「医学・医療の攻究」というフレーズが大きな意味を持つことは明らかです。

いずれにしても、今回のような広域の災害ともいうべきパンデミックの際には「地域医療への貢献」という精神は私たちがなすべきことの一部を示していると考えます。少なくとも病院長以下病院のスタッフはそう思ったはずです。

「底力:その2」

それが次の第2の病院長のぶれないリーダ―シップにつながっています。このリーダーシップを発揮するに際しては、これまでの経験を基に作成してきた危機対応のプログラムに従って行動するという方針を継続してきたことが役に立ったと思われます。これは、企業が有事の際に事業を継続できるようにするため、その都度内容をversion-upさせながら、そのプランに従い行動するというコンセプトからなっています。これにより、文字として明示された誰もが了解できるプランの下で行動することが可能になります。トップの頭の中にしかなく全体像が見えないことを周囲がいくら忖度しても、実行に移すことは不可能です。今回、これが着実に行われたことは特記すべきことでした。

「底力:その3」

第3に本学での検査部と感染制御部の素早い対応です。主だったスタッフがほぼ共通していましたので、今回の感染症に必須なPCR検査などの診断方法が早期に院内でセットアップされたことは大きなメリットでした。他の医療施設での大規模なクラスターの発生要因の一つとして、当該の施設での検査のキャパシティーが十分でなかったために、濃厚接触者の検査が広範囲かつ迅速にできなかったことが挙げられていました。この点で、本院が全く異なる状況にあったことは大きな利点でした。

さらに忘れてはならないのは、この期間中に診療に影響を及ぼすほどの感染防護具(マスク、ガウンなど)の不足に陥ったことがなかったことです。実際にはかなり危険水域まで達したことはありましたが、感染制御部、事務局の素早い動きにより、不足に至らなかったことは医療者を感染から守るという意味では重要な点でした。

「底力:その4」

第4です。次の第5とも関係しますが、当大学の救急医学講座および当院の救命救急センターでの、これまでの緊急事態あるいは有事に関する対応の経験と知見の蓄積が極めて有用であったことです。特に、札幌市保健所の体制が整わなかった感染拡大当初の時期には、私たちのサポートは非常に大きな地域医療支援になったと思われます。

「底力:その5」

第5です。病院長、感染制御部、救命救急センターのいずれもが、今回の感染症は単に一部の地域の災害ではなく広域の災害であり、したがって感染症に対する対応を広い視野を持って行わなければ、終息に向かう方向性も見いだせないと強調していたことです。当大学所属のDMAT教員の札幌市保健所へのほぼ常駐に近い派遣、北海道各地への感染症専門医、感染制御専門家などの派遣を、附属病院の人員が減少するのを覚悟で行ってきたことは、終息へのきっかけを何とかつかみたいという病院長、病院スタッフの総意に他なりません。

これまで示した本学の「底力」を基にした、集団としての「有事」への適切な対応は、一朝一夕で確立するものではありません。集団を構成する個人個人が、基礎研究あるいは臨床研究を継続的に行い、それを何とか発展させようとする息の長い努力によるものです。建学の精神にある「医学・医療の攻究」が必要な所以です。それを基礎とした地域医療への貢献がまさに今回なされたと考えています。

「事実の記録を」

このような私たちの経験は記録に残すべきと考えます。次期病院長、および関係者にはこれまでの新型コロナウイルス感染症に関する本学の貢献を記録に残すことを要望しました。完成すれば事実に基づく貴重な資料になるはずです。今回の感染症で改めて気が付いたことは、現場の事実に基づいた情報が極めて少ないことでした。机上の空論まがいの「フェイク」は医療の判断すら誤った方向に導きます。その意味で、今回の経験は、再現はないに越したことはありませんが、広域災害としての感染症に対する危機管理対策に有用であると思われます。まさに、本学でなければできない仕事であると確信しています。

2.本学の課題

退職する人間が、将来の課題について言及するのはある意味で越権行為かもしれません。わかっているのであれば、さっさと実行すれば良かったのではないか、という非難は甘んじて受けなければなりません。しかし、6年間の時間経過で見えてくるものもあると思われます。私の6年間の反省を込めた整理と理解してもらえれば幸いです。
これからの内容は既にこれまでの会議などで強調してきたものが含まれています。

本学の課題に入る前に、他大学、特に国立大学法人の動きについて考えるのが適切と思われます。それは、この4月から中期目標・計画の第4期目に入りますが、その内容が今回は大きく変化しているからです。この変化がなぜ重要かというと、本学も3年後に第4期の中期目標・計画に入りますので、参考になる点が大いにあると思われるからです。この詳細は新年度の挨拶でも示しましたのでここでは省略しますが、十分に留意いただければと思います。

さて、以上の国立大学法人の動きを多少頭に入れ、大学の将来に向けてこの6年間に感じたことを述べたいと思います。
5項目-①長期目標の設定、②大学の組織機構の見直し、③医学部入学試験の方法、④研究と⑤臨床、について説明します。全体として、これまで継続してきたことの検証が必要な時期であるという強い印象を持っています。したがって、これがある程度の前提になります。

「長期目標の設定」

1つ目です。常々、法人としての6年間の中期目標の設定の他に、それの元になる大学としての長期の目標が必要と考えてきました。第4期の中期目標を策定する前に10年以上の期間を見据えた長期目標を設定することの必要性です。多少時間切れの感は否めませんが、令和3年度内に長期目標のたたき台のたたき台を作ることができればと考えてその作業を行いました。今後はそれを新理事長・学長の下でさらに検討し最終案を作成することを希望しています。そうすれば第4期中期目標策定にも大きく資すると考えます。

この中には、本学の将来構想として考えておかなければならない重要な点があります。
御存じのように、大学受験者数の減少を背景に文科省は国立大学同士あるいは公立大学、私立大学との統合に熱心です。国立大学同士では北海道でもその例があります。東海地区での名古屋大学と岐阜大学の例もあります。さらには、国立大学法人と公立大学法人とでは山梨大学と山梨県立大学の例があります。

本学が今後10年、20年とこのまま単独の大学として生き残ることができるのかどうかは、誰にもわかりません。他の大学とも、内容は多岐に渡りますが今まで以上の連携を模索しなければならない状況が来るかもしれません。このことは、視野に入れておくべきと思われます。

「今後の組織機構は?」

2つめは大学の組織機構の見直しについて
です。平成19年の法人化以降15年が経過し、大学の組織機構も時代にマッチしていないところも散見されます。特に、それは「教育」を支えるシステムに見られると考えます。本学における「教育」、これには入学試験、教養教育、専門教育などが含まれますが、その重要性が今後一層増すことが予想されます。そのため、それを支える教学組織が時代にふさわしいものに改革されてきているのかと考えると、答えは残念ながら「NO」です。特に、現在、両学部で進行している医学あるいは看護学教育分野別評価を継続的に担当する責任者と、その責任者が中心となって関連する業務を担う組織体制の構築が望まれます。現在の医学部長、保健医療学部長、医療人育成センター長を、例えば教育担当副学長(あるいは学長補佐、名前はどうでも良い)のような立場に充て、教育に専念できる組織体制を構築する。このことは、それぞれの学部における「教育」を主体的に担えるポジションを考慮することが不可欠であるという認識にほかなりません。これらのポジションはこの後に触れる入学試験についても重要な役割を果します。

この3月に日本医学教育評価機構による本学の医学教育の質に関する外部評価(医学教育分野別評価)が行われました。詳細は割愛しますが、評価の中で「教育プログラム」、「学生の評価」の内容について数多くの問題が指摘されました。これらは、これまで本学が行ってきた医学教育の一部に根本的な改善を要する点が存在することを意味します。この指摘は非常に重く受け止めなければならないところです。その意味でも、教養教育、学部教育の責任者を一層明確にする組織体制の構築が望まれます。もちろん、このような組織体制の改善ですべてがよくなるわけではないことは事実ですが、「外枠」の重要性は論を俟たないと認識しています。

上記の変革を行うことは、大学の基礎および臨床研究を統括する教授が必要になります。当然、このポジションは現在の附属産学・地域連携センター長を兼任することになります。そうして、このセンターが本学の研究の司令塔となるのであれば、センターの名称を変更することも考慮したほうが良いと思います。また、医療担当として附属病院長を充てることは当然です。今後はこのような体制を検討することも必要と考えます。

「現行の医学部入学試験の方法はこのままで良いのか?」

3つ目は医学部入学試験の現行方式の見直しです。医学部の入学試験に関しては、入学時と卒業時の成績との関連などエビデンスが十分に得られていないので、その見直しについては拙速を避けなければなりません。しかし、「単なる偏差値秀才以外の北海道各地の優れた高校生」を求めるという考えで、25年近く前(平成9年)に開始された学校推薦の制度が、その趣旨に合致した結果を、特に最近、生んでいるのか?先進研修連携枠(ATOP-M)の学校推薦という「枠」をこのまま継続することに意味があるか?これらを議論した方がよいと思います。

「研究の今後」

4つ目は研究についてです。これまでと同様に総合大学とは異なる観点からのアプローチが望まれます。すなわち、本学の特長を生かした研究、特に基礎講座と臨床講座との連携、医学部と保健医療学部との共同研究の推進を一層強化することが必要です。しかしこのことは、単に学位を取らせるだけのものであってはなりません。将来につながる研究がその研究室で生まれてくる可能性を保持し続けることが重要です。言うは易く行うは難いことですが、それがなければ単なる自己満足に過ぎません。

基礎研究および臨床研究を含めこれから研究を進めるにあたっては、外部資金の獲得が大きなポイントです。しかし、残念ながら特に本学のような研究環境が恵まれているとは決して言えない施設では、この獲得もなかなか大変です。これまでは、大学の規模にしてはかなり多くの外部資金を獲得してきましたが、これはひとえに関係の先生方の努力とその研究成果によるものです。しかし、この状態が今後も順調に経過するかどうかは予断を許しません。外部資金の獲得は今後厳しくなることはあっても容易になることは100%あり得ません。

その意味で、現在得られている特許実施許諾料収入を原資とした資金を、今後の研究に有効に活用することを考えなければなりません。令和3年度から、その目的で若手研究者を対象にした重点研究支援事業を開始しました。現在、2名の若手研究者が2年間でそれぞれ600万円の研究費補助を受けています。これをさらに拡大する必要があります。

また、大学におけるリソースは有限ですので、ある程度の選択と集中を考慮した基礎研究環境の整備が必要と思われます。例えば、現在、フロンティア医学研究所の教授選考に先立ち、この研究所の今後のありかたを検討してもらっています。また、今後数年で決して少なくない人数の教授の先生方が退職されますが、その後の講座、部門のあり方の検討も不可欠になってくると思われます。

「臨床、地域医療支援の今後」

最後に臨床および附属病院についてです。
今回の新型コロナウイルス感染症によるパンデミックに見られたように附属病院の地域貢献には多大なものがありました。このように有事の際に地域に貢献できる仕組みを、普遍化する必要がありそうです。これも含め現在の診療科の見直し、将来必要となる可能性のある診療科も検討の対象にすべきと思われます。

北海道の地域医療の維持、充実に関して、これまで行ってきている医師の派遣について再考すべき時期が来ているという印象を持っています。現在と同程度あるいはそれ以上の地域医療の質の向上を図るためには、今後何が必要かの検討は避けて通れません。派遣元となっている本学では「医師の働きかた改革」を2024年から施行する必要があります。現在、附属病院長が中心になって体制構築の検討を進めていますが、今までと同じような方法で医師派遣が可能なのかという点については、不透明なところがあります。その意味でもちろん万能薬ではありませんが、医療におけるICTの普及は必須です。次世代における問題解決の糸口の1つになる可能性はあります。

一方、北海道が持つ他の道立の医療機関、道立病院や北海道立こども総合医療・療育センターなどとの、今以上の連携強化を図るための方策を模索すべき時期と思われます。本学が法人化されたため、他の道立の関連機関との行き来が建前上以前よりハードルが高くなっているという印象があります。相互のリソースを最大限に有効活用し、両者の利益を向上させる連携が必要と考えます。

令和3年度から本格的に始動した大学設置の「地域医療研究教育センター」と医学部設置の特設講座「南桧山地域医療教育学講座」は、学生の卒前教育および地域医療を担う若手医師の卒後臨床研修のサポート体制を整えることのみならず、地域医療への支援の1つの体制として今後の積極的な運用が期待されるところです。

なお、意味合いは多少異なりますが、名古屋市立大学は地域のセンター病院の機能を持つ2つある市立病院を附属病院化し、病院の機能をそれぞれ分けながら約2,000病床の附属病院を作り上げています。名古屋市と名古屋市立大学附属病院が置かれている状況がそのような組織変更を強いたのでしょうが、同じ公立大学附属病院の生き方として参考にすべき部分はありそうです。

3.任期期間中の画期的な出来事

終わりに、私の任期期間中で大学にとって画期的であったことに触れたいと思います。

「その1」

1つ目は島本和明 前理事長・学長および関係の教職員の皆様、また北海道の支援によって念願の新校舎、教育研究棟が落成したことです。これで教育研究棟、基礎医学研究棟、大学本部棟、保健医療学部棟、臨床医学研究棟(かなり年期が入ってしまいましたが)、附属病院と医療系の大学らしくなりました。新しい教育研究棟は講義室、基礎実習室、解剖実習室、いずれも最新の設備が設置されており、雰囲気ばかりではなく機能的にも新しい大学の様相を呈しています。私にとってのサプライズは解剖実習室で、その昔のイメージを引きずっている者にとっては、大げさに言えば、あまりの変わりようは筆舌に尽くしがたしという感じです。

附属病院も西棟が完成し、私も入院を2回体験しました(決して体験入院したわけではなく、本当の入院です)。ここも私が現役の時の病棟に比較すればその作りに隔世の感があります。ようやく通常の大学附属病院に近づいたという印象です。既存棟のほうも、COVID-19感染にも関わらず改築は順調に進んでいるようです。令和6年末ころには完成する予定です。

「その2」

2つ目は、本望 修 教授が中心になって研究を進めてきた「骨髄間葉系幹細胞」についてです。脊髄損傷に対する効果が認められて、治療薬としての使用が保険診療上も可能になりました。ここに至るまでは20年以上の時間が経過していると思われますが、この研究を成就させた本望先生と共同研究者、それを支えた歴代の学長、関係の皆様の努力に敬意を表します。このような息の長い研究が最終的に臨床の場で実を結んだことは、本学の建学の精神の一端を示すものと称賛したいと思います。

「残念であったこと」

画期的というよりはきわめて残念なことです。本年度の医師国家試験の合格率が極めて低調であったことです。本学卒業生の実力はこんなものではないと思いつつも事実として受け止めなければなりません。学長以下のすべての教員がその責を負うべきものです。このような結果に至った原因究明が不可欠ですが、各学年での成績評価の妥当性について再考しなければなりません。先ほど触れた医学教育分野別評価においても、評価委員から改善を要する事項として指摘されていた中に、この「学生の評価(成績)」が含まれていたことは忘れてはならないと思います。合格率が不良な卒業生を出す学長は私を最後としなければなりません。来年度は新学長のもと、逆に大きく飛躍することを期待しています。それこそ、本学の学生の真の「底力」、この場合はむしろresilienceですが、これを強く期待しています。

4.改めて「建学の精神を」思いを馳せる

長崎大学前学長の片峰 茂先生が、ある論文で、地方の国立大学で「意味のある地域貢献をするためには世界レベルでの教育、研究が不可欠であること、したがって、大学での教育・研究・地域貢献は不可分であり、どれか一つに特化することは不可能である」、と書いていました。まさにその通りです。この考えは、70年前の開学以来、私たちが建学の精神のもとでこれまで実践してきたことにほかなりません。

私たちは、これまでも、また、これからも「医学・医療の攻究と地域医療への貢献」という2足の草鞋を履き続けなければならないと考えます。その意味でも、建学の精神は時代を先取りした大きな意味を持っています。特に、「医学・医療の攻究と地域医療への貢献」という文の順番は極めて重要です。医学・医療の攻究の成果を地域医療に還元することが本学の使命です。単に医療者を育成するだけの専門学校にはならないという矜持が必要ではないかと思います。

先ほど触れたように、今後、本学が単独で存続できるのかはたまた連携法人あるいは新大学法人を設立するようになるのかは不明ですが、大学の構成がどうあろうと、これまで履き続けてきた伝統のある2足の草鞋は今後も履き続けなければ本学の将来はないと考えます。

5.最後に教職員の皆様への謝辞

最後に、この6年間の歴代の両学部長、附属病院長、医療人育成センター長をはじめとする多くの教員の方々、および副理事長、理事、局長、看護部長をはじめとする医療職、事務局の方々から多大な御支援をいただきました。ここに深く感謝いたします。また、歴代の学長からも折に触れて大所高所からの心温まる助言、叱咤激励をいただきました。非常にありがたく、その都度思いを新たにしました。この紙面を借りて重ねて御礼申し上げます。

新しい理事長・学長の下、未来の開学100周年に向けて力強く邁進する札幌医科大学医学部とその限りない発展を見守りたいと思います。

(土橋病院長、齋藤医学部長の助言に感謝いたします)