退任教授・役職者

退任のご挨拶

札幌医科大学 名誉教授 氷見 徹夫

 ”The Boomerang Clue”

 長きにわたり医師,教員として勤務してきた札幌医科大学を離れることとなりました.医師になってから米国への留学や関連施設での勤務などもありましたが,耳鼻咽喉科医として札幌医科大学で定年退職まで働くことができたのは誇りに思えることであるとともに,いろいろな諸先生方の支えがあってこそ,ここまでこれたのであり心より感謝申し上げます.特に,後半の教授在職中には,同窓会の仕事もさせていただく機会があり,微力ながらお手伝いさせていただき,また,反対に同窓会からのご支援をいただいたことも重ねて感謝申し上げます.

 いつの時代でも人間の本質はそれほど変わっていないと思っていますが,社会情勢や物事の価値観は加速度的に変化しています.時代の趨勢,潮流,流行などの意味としての「トレンド」という言葉はいろいろな場面で使われます.臨床,研究,教育という私が携わってきた領域でもうねりのような大きな変化が起きており,その変化が大きいがために何が本当に正しいのか,どう評価したらよいのかがわからなくなります.いわゆる新しい「トレンド」に流されてしまい,自分の中にある基準をどこに定めたらよいか迷いながらこの仕事を続けてきたといってもよいでしょう.札幌医大の学生や若い卒業生に「自分の基準点を作りなさい」「自分の軸をしっかり築きなさい」などのような格言めいたことを残したいのですが,このような時代ではそれが達成できるのはごく少数かもしれません.

 などと思いを綴りながらも,すでに私自身が転換点に立っていることになりました.在任期間中は幅広い領域の臨床・研究に力を入れてきました.そのどれもが成功したわけではありませんが,大きな成果を得たものもいくつかあると自負しています.大学全体から見ると小さなものかもしれませんが,耳鼻咽喉科は外科系の専門性の高い領域ですから,今後,私が残したものを教室員たちがどのようにアレンジしてくれるか見ることを楽しみにしているところです.

 さて,私の好きな標語(?)の一つに,“The Boomerang Clue”という言葉があります.この “The Boomerang Clue”という言葉は,私の大好きなアガサ・クリスティーの「なぜ,エヴァンスに頼まなかったのか?Why Didn't They Ask Evans?」という推理小説の英語版の別に名付けられたタイトルです.私はこの推理小説が好きなだけでなく,この作品の英語版タイトルが個人的に格言的な意味を持つ言葉ではないかとして大切にしています.その理由は(推理小説の「ネタバレ」はよろしくありませんが),この小説のストーリーの展開と関連付けて,このタイトルの意味を「物事の本質から外れそうなときは,ブーメランのように,もう一度出発点に戻ると,案外素晴らしい手掛かりが待っている可能性がある」と解釈しているからです.「トレンド」が次々と現れて上塗りされ,新しいと思ったことがすぐに古くなってしまうこんな時代だからこそ,「物事を始めたあの時,自分はどう考えてたんだろうか?」とゆっくり振り返ることも重要なのではと思っています.私自身も今新しい出発点に立っているのですから,この言葉に従って,大学に入学したころ,医師になったころ,教授になったころの貴重な経験を再考し整理し直し,新しい“Clue”を見つけてみたいと思っております.