退任教授・役職者

時の流れと人の世は・・・

札幌医科大学 微生物学講座 教授 藤井 暢弘

 私が教授職を拝命したのは平成5年2月のことです、以来約20年間無事に勤めさせていただき本年(平成25年)3月末をもって退職となりました。心に残る思い出も多々ありますが、平穏に過ごさせていただいたことにあらためて感謝を申し上げたいと思います。

 20年という歳月の重みを噛みしめてみると、0歳の新生児が20歳の成人となる年数であり、この間の身体的、精神的、知識的成長は目を見張るものがあり劇的に成長することを可能にする年数であります。しかるに、私の20年は、殆ど成長がみられず、特に精神的な成長は皆無に等しく、かくも見苦しくあったのかと恥じ入るばかりです。また20年の時の流れは、昭和元年から20年に至る軍部抬頭、満州事変、支那事変、太平洋戦争への流れのように、まさに政治的に激動の時代をもたらすことを可能にする年数でもあります。私の20年としての時代は、概ね平穏な時の流れであったと感謝すべきかもしれません。つまり、個人の希望をかなえる時間がある程度自己の裁量にまかされる時間として与えられたからです。

 私は、自然科学の発展を通じて人類の為に・・・・・等の大それた思考はなく、単純に個人的興味の追及をしてきましたが、この間自然科学(当然医学領域も含みます)の発展のために排泄される有害物質が人類を苦しめ、それを解決するための科学分野が必要となる、不思議な体系が形成されていることに違和感を持ちました。具体的には、癌のための研究における実験廃棄物の処理で多種類の発がん物質が造りだされ、水系、大気を汚染させてしまう(多くの研究にはついて回る副作用かもしれません)。もちろん、生活・産業に付随した副作用も多々あることは十分承知しております。私が子供のころには、水やお茶を買って飲むことや、空気を清浄機でろ過しなければならないことなどは夢にも考えませんでした。はたして、このままの発展方式で人類は「本来の希望」をかなえることができるのでしょうか?

 忠臣蔵(松浦の太鼓)の中、吉良邸への討ち入り前夜、宝井其角の「年の瀬や、水の流れと、人の世は」との問いかけの発句に、大高源吾(赤穂浪士)は「明日待たるる、その宝船」と付句を返したとあります。私も皆様に「現世や、時の流れと、人の世は」と問いかけますので、返句をお考えください。

 このような違和感を払拭するような「ありかた」を模索しつつ最後の人生に踏み出したいと思って筆をおきます。