退任教授・役職者

雑感 -「化学」のすすめ -

札幌医科大学 医療人育成センター 教授 賀佐 伸省

 「化学」を始めてからこの退職まで40数年になる。専門的に学んだ化学は有機化学である。しかし、何れかの研究機関に在籍して有機合成化学や天然物有機化学などのいわゆる純有機化学を生業にはしなかった。理学部を出るに当たって、俗に言う「化学でメシを食う」には直感的にどうにも納得がいかなかったからである。化学専攻の優れた諸先輩をみていると、化学とはかけ離れた仕事に就く例が多く、聞く限り専門性が生かしきれていなかった。もちろん、そのことに是非を問うことは出来ないし論じるつもりもない。「化学」は目的ではなく武器である、と思い始めたのは医学部の研究施設に行って医学を学び始めてまもなくのことである。この想いは生化学の分野で見事に成功を収めた。一番威力を発揮したのは、種々の機器を駆使して糖質や脂質、ペプチドなどの生体低分子の構造解析をすることであった。特に核磁気共鳴スペクトル(NMR)と質量分析(マススペクトル)の力はすさまじかった。当時のNMR装置は解像度が低く、糖脂質(分子量1,000以上)を通常の条件で測定しても解析する気にならないほどのスペクトルであった。そこで、試行錯誤で測定溶媒や測定温度を調べ、ようやくそれらしいスペクトルが得られたので論文にしたところスウェーデンの研究者から彼らの論文が届き、その方法はすでに報告済みであることを知らされた。解像度のよいスペクトルは専門家がみれば一目でその物質の構造(ただし、専門分野の物質)が浮かんでくる。その後、NMRの解像度は飛躍的に上がり、一次元はもとより二次元NMRが開発されるに及んで現在では生体物質の構造解析に必須の機器となっている。

 小生が住む町は昨年12月から不燃ゴミをプラスチックと生ゴミに分別することが義務づけられた。ゴミの埋め立て地が程なく満杯になることが大きな理由だそうである。渋々分けてみたら(ゴミの管理は小生)、なんとプラスチックゴミが6?7割を占めた。従来、これが埋め立て地に埋め立てられていたわけであるが、プラスチックは土壌菌では分解されないことは周知の事実である。プラスチックは石油製品の一つであり、太古の時代の植物が気の遠くなるほどの時間をかけて地下で炭化水素に変化した物質である。つまり、石油製品はまた土に戻るわけであるが、決して石油に戻ることはない。プラスチックの別の用途を早急に考えるべきである。プラスチック容器で気になることが一つある。昔の新聞にガン研究者の調査結果が載っていたことであるが、発泡スチロール性の容器に熱湯を入れて後、湯を回収して濃縮しクロマトグラフィーで調べたところ、プラスチック性物質(可塑剤のフタル酸エステルだと記憶している)が検出されたというものである。その後、その話は立ち消えになっている。小生の昔の経験であるが、ある動物の複数の組織から脂質を抽出し、濃縮して高感度の検出器で分析したところほぼすべての臓器からフタル酸エステルが検出された(質量分析でm/z=149が代表的)。つまり極論になるが、このままでは生き物の体にプラスチックあるいはその類縁物が少しずつ蓄積し、気づいたら組織の一部として市民権を得ていた、などという空想をしてしまう。もちろん、化学者としてプラスチック類の存在や利用を否定しているわけではなく、むしろ使い方を再考する時期にきているような気がする。これらの石油製品なくして今日の文明の発達は考えられない。かく言う小生も釣り船から下りてカップヌードルはたまに食べる。

 札幌医大の理科の入試科目は化学、物理、生物のうち2科目選択であるが、なぜか化学が毎年ほぼ100%の選択率を持つ。この原因は明らかでないが、化学に興味を持つことは良いことである。良きにつけ悪しきにつけ、エネルギー問題など世の中の経済を語るには化学が必須であるから。