ケ モ ノ 道

札幌医科大学 医療人育成センター 教養教育研究部門学科目 心理学 澤田 幸展

 心理学者は, 自らのコンプレックスを研究テーマとする。たとえば, 普段からの不注意さが気になって, 注意の研究に打ち込んだり, 性格のおかしさが気になって, 臨床心理学にのめり込んだり, といった具合である。黄金律とは言えないにしても, こんな心理学者が昔は少なくなかった。

 小生, 元はと言えば, 理学部で数学を勉強していた。それが, 数学的才能に早々と見切りをつけたとはいえ, わざわざ文学部へ移って心理学を --- それも, 臨床心理学的志向性の強いものを勉強しようと思い立ったのは, 自分の性格が大いに気になったからである。疾風怒濤の青年期を, 乗り切る自信がなかったからである。

 しかし, 臨床心理学もまた小生に不似合いなもの, と感じるまでにさほどの時間を要しなかった。ロールシャッハ(例の, インクの染み)検査一つを取っても, 解釈に幅があり過ぎ, 賽の河原のように感じた。もっと困ったことに, いかなる哲学・理論・技法を以てしても, 要はクライエントに相対する臨床家。臨床家自身が最大の治療的要素だとするなら, 小生のような性格では, そもそもが失格であった。

 あるとき, 拒食症と対人恐怖症とを併せ持った30代半ばの女性が, 心身症的傾向が強いとして, 内科から紹介されて来た。この女性は, また, 動揺性高血圧の様相を呈していた。先代の教授が, 面接時の血圧動揺を知りたかったらしく, ナルコ社製の血圧測定装置を購入したのである。クライエントはまもなく転院して, 高価な装置だけが残った。そして, 価格に見合った新たなデータを出せ, との号令がかかった。

 ひょんな事から, 臨床心理学は脇に置いたまま, 血圧測定装置との格闘が始まった。ストレスをかけるにしても, 無侵襲かつ連続して測れなければ, 心理学では使えそうにない。こう思い立ち, 世のさまざまな血圧測定装置を比較検討する日々が続いた。そうした折, 容積補償法と呼ばれる確かな原理と出会い, 測定装置のプロトタイプを手に入れた。それから約30 年を経て, つい最近, この原理は満足できる装置へと結実し, 市販されるに至った。その共同開発者の一人となれたことに, いささかの誇りを感じている。

 もっとも, 血圧が測れたとして, 何の意味があるのか。中枢神経系は, 自律神経系を介し, 心臓血管系を制御する。短い時間での制御は, このように行われる。その制御目標値が, 血圧に他ならない。(昨年に父が96歳で他界した。死ぬ間際に心拍数は140近くまで上がった, と担当医から聞かされた。血圧の制御目標値 --- この場合なら, 安静値を保とうとして, 心臓が働いたためであろう, と愚息は解釈した。) この血圧目標値仮説に立てば, ストレス負荷(たとえば, スピーチ)時には, 中枢側がそれに見合った血圧上昇を求めるはずである。したがって, 血圧の上昇具合を知れば, 負荷されたストレスの強度が分かる。この10年ほど, 一端は脇に放ってあった臨床心理学的な関心事が, 再び浮上して来た。血圧を手がかりに, ストレスやリラックスの問題が解けるかも知れない, と。

 こうして, 楽屋裏から我が研究を振り返ってみると, その道は曲がりくねっていた。時どきの必要に迫られて,「僕の細道」を歩いて来ただけである。ただし, 筋は通した。時空間的な変換に耐えられる, 不動点の上に研究を組み立てたい。賽の河原は見たくない, と。その結果が, 不動点=血圧目標値仮説, であった。

 入り口で臨床心理学を目指しながら, 出口は心理学どころか, 得体の知れないものになってしまった。生理学(とくに, 心臓血管系)と工学の中間で, 数学的手法も多用する, そして, 心理学的概念も入り込む。このケモノ道こそ, 僕の細道なのであった。