癌研究会癌研究所・実験病理部
“Cancer genetics”という言葉は,“遺伝性の癌”と“遺伝子病としての癌”という似て非なる2つのことがらを含んでいる.最近のヒトゲノム解析の進展によって病気の本態が遺伝子レベルで具体的に考えられるようになり,病気の根幹を追求できるエキサイティングな時代になってきた.癌化の rate limiting step となる遺伝子変異の解析を行い,さらに遺伝子産物の機能を把握し,発癌の分子機構解明とその機能に基づいた新しいヒト癌予防法と治療法の開発に役立つ基礎情報を整理することはタイムリーであると考える.癌が遺伝子の病気であることが定着してきた最大の理由は,癌の標的遺伝子である癌遺伝子(1976年),癌抑制遺伝子(1986年)が具体的に発見されたことによる.すなわち癌遺伝子,癌抑制遺伝子の発見によって,ヒト癌化機構は特定の遺伝子レベルで多段階的に描けるようになってきた.癌細胞の起源は1個の体細胞に由来し,内なる遺伝子の異常により起始される.遺伝子に変異が生ずるためには,2つの要因が必須である.1つは,DNA傷害と,2つは,それを変異として同定する細胞分裂である.発癌には“遺伝的要因”と“環境要因”の両方が関与しているといわれている.癌発生の病因論から環境因子と遺伝因子の組み合わせによって癌を4つのグループに分類することが出来る(oncodeme).癌は,ありとあらゆる所から発生し,臓器組織により,その性格が異なる.癌で死亡する日本人は年々増加の傾向にあり,たとえば肺癌と大腸癌は日本でも米国でも死因のおおきな原因である.米国では乳癌と前立腺癌が大きな問題である.これは,環境因子の違いによるものと考えられている.
ところで,遺伝性癌は,生殖細胞のレベルで身体の全体の細胞に mutation が存在するのに,ある特定の臓器のみに癌が発生する.この Tissue / cell - type specific carcinogenesis は,これからの発癌研究にとって重要なテーマと考える.癌化遺伝子(癌遺伝子と癌抑制遺伝子)の機能と癌が発生する組織細胞の性格の理解が大切と考える.その場合,細胞間における癌化に必要なステップ数の違いをきちっと整理することも大切である.この組織特異的発癌の理解は,遺伝子機能からみた癌治療の分子標的を考える上でも,さらに癌の予防を考える上でも大切と思われる.
1915年,山極勝三郎はウサギの耳にコールタールを塗り,世界で初めて扁平上皮癌を作ることに成功した.1932年,佐々木隆興,吉田富三がオルトアミノアゾトルオールをラットに食べさせ内臓に癌を作った.日本は化学発癌の創始国であり,発癌研究には,伝統がある.20世紀は癌を作る時代であった.21世紀は,癌の発生を遅らす研究で,再び日本が癌研究で世界をリードできる時代がくることを切に望むものである.本講演では,Cancer Genetics の立場から癌発生について最近の知見について考察して見たい.