2. ICTVの第7次報告に基づいた
カリシウイルス科 ウイルスの分類と命名

 ICTVの第7次報告に示されたカリシウイルス科ウイルスの分類と命名の基礎になったのは「実用性のあるウイルスの分類体系は、その時代までに得られている当該ウイルスについての情報に依存するものであり、その時代に利用可能な最先端技術を反映して決められている」という考え方である。第7次報告が作成された時代的背景を概観すると、ノーウォークウイルスのtype species*であるNorwalk virus/68株の遺伝子が1990年にクローニングされ、その後公表された全塩基配列が基になり、このグループに入る一連のウイルスの遺伝子が次々とクローニングされてきたという、「(電顕形態学ではなく)ゲノムの塩基配列情報に基づいて同定する」という事情を見のがすことはできない。また、カリシウイルス科ウイルスの多くは、ブタ水疱疹ウイルスやネコカリシウイルスなど一部を除けば、in vitroでの培養系がない。ICTVは培養系がないウイルスの場合、「完全長の遺伝子もしくは意味をもつ程度の長さの塩基配列情報に基づいて分類を行う」ことを勧告している。カリシウイルス科ウイルスの場合、「意味をもつ程度の長さ」とは、 RNAポリメラーゼ領域から3'側の方へ約3000ベースの情報が得られた場合を想定している。カリシウイルス科の分類に関するスタディグループが行った第7次報告はこのような基本方針に基づいたものだった。

 歴史的に見ると、Norwalk virus/68株の発見以降、電子顕微鏡で糞便中からウイルスを見つけて診断を行っていた電子顕微鏡時代があった。米国ではNorwalk virus/68株のボランティア血清による免疫電顕、また、わが国では患者血清による免疫電顕も多用された。これとは別に、動物のカリシウイルスに見られる「ダビデの星」様の表面構造を持ったウイルスも、下痢症患者から見つかった。サッポロウイルスといわれるウイルスの多くがこういう特徴的な表面構造を持っているので、電顕形態学的には明らかにカリシウイルスである。そこでヒトカリシウイルスと呼んできた。これに対してノーウォークウイルスは電子顕微鏡で見ると大きさは似ているが特徴的な表面構造がない。しかし、何らかの表面構造はある。これらを米国では、Norwalk virusやNorwalk-like virusという名前で呼び、英国ではsmall round structured virus (SRSV) と呼んできた。なお米国での呼び名は俗名であって、ICTVの第7次報告で使われているウイルス種としてのNorwalk virusや暫定的な属名である"Norwalk-like viruses"とは同一のものではない。

 Norwalk/68株に引き続いて、Hawaii virus, Taunton virus, Snow Mountain virus, Southampton virusといった一連のウイルスの遺伝子配列が明らかにされ、その遺伝子構造や塩基配列情報から、これらがカリシウイルス科ウイルスであることがわかった。この時期に出されたのがICTV の第6次報告であった。表1に示すように、カリシウイルス科の中にはCalicivirus (カリシウイルス属)1つしかなく、8つのウイルス種があった。今日までわが国で広く使われてきているSRSV (small round structured virus)といわれたものの大部分が、8つあるウイルス種のひとつであるhuman caliciviruses(ヒトカリシウイルス)に属すると考えてほぼまちがいない。表1をよく見ると、下の段にまたhuman calicivirusという名前がある。この下の段のウイルスは、まだ情報が少なくて種として認められないが、種の候補であるというウイルスのことである。この下の段のhuman calicivirusが第7次報告でサッポロウイルスという種になった。第6次報告では今日のノーウォークウイルスもサッポロウイルスも英語では単数形と複数形の違いがあるが、両方ともヒトカリシウイルスという表現がなされた。そこで当時の論文はもとより、第7次報告が発効するまで、human calicivirusと言った場合どちらを意味するのか(あるいは両方なのか)については文献上でもあいまいなままになっていた。

 さて、第6次報告で1つの属であったものを4つの属に分けるという根拠は何か。ICTVの規約には「科(family)」の定義、「属(genus)」の定義、「種(species)」の定義があり、これに基づいて分類して行く。属の定義は「科の中にあって互いに関連している種の集まりで、他の種の集まりとは明らかに区別できる一群のウイルス」というものである。そこでICTVの第7次スタディグループでは、カリシウイルス科では属をどういう基準で定義するかということから始 まった。前述したように培養ができないウイルスの場合はその遺伝子解析情報が最も重要であるというのがICTVの見解である。カリシウイルス科ウイルスは培養系が確立されていないものが多いので、属をgenetically distinct clade of viruses、つまり遺伝子レベルで分類すると定義した。その結果、カリシウイルス科は4つの属、すなわち Lagovirus属、"Norwalk-like viruses"属、 "Sapporo-like viruses"属、Vesivirus属に分かれるということが決まった(表2)

 それぞれの属に入る種をみると、Lagovirus属にはRabbit hemorrhagic disease virusEuropean brown hare syndrome virusの2つ。Vesivirus属には、最初に発見された動物のカリシウイルスであるVesicular exanthema of swine virus(ブタ水疱疹ウイルス)とFeline calicivirusの2つである。"Norwalk-like viruses"属に入る種はNorwalk virusただ1つ、 "Sapporo-like viruses"属に入る種はSapporo virusただ1つと決められた。ICTVのカリシウイルス科・スタディグループは、 Norwalkvirus属とSapporovirus属という名称を正式にICTVに提言したが、これは「type speciesの名前と属の名前とが同一になってはならない」という点と、「地理的名称を冠したウイルス名をそのまま属の名前に用いてはならない」という点でICTVの命名規約に反することから却下された。その結果、2つの属の名前は"Norwalk-like viruses"、"Sapporo-like viruses"という暫定的な名前となり(そのため引用符" "がつき、またイタリック体表記をしてはならない)、将来的には全く新しい名前に変わることになる。ただし、新しい属名が何となろうと、2つのウイルス種名、すなわち Norwalk virusSapporo virusという新しく決まった名前は、ICTVが決定した正式な名前で変わることがない。

 ところで、研究や臨床の場で使っているウイルスの名前は、分類学的にみると種の名前が使われているのである。例えば、麻疹ウイルス、風疹ウイルス、B型肝炎ウイルス、A型インフルエンザウイルスはみなウイルス種の名前であって、属の名前ではない。ここにワーキンググループの提言の骨子がある。すなわち、このような慣行を踏襲すれば、カリシウイルス科ウイルスの場合、今回新しくICTVが正式に承認した Norwalk virusSapporo virusという2つのウイルス種名を研究や臨床の場で使うべきある。もちろん日本語の文脈の中では「ノーウォークウイルス」と「サッポロウイルス」とすればよい。暫定的でもあり、分類体系では上位にある、つまりより大まかな"Norwalk-like viruses"や"Sapporo-like viruses"という名前(日本語の文脈の中では「ノーウォーク様ウイルス」と「サッポロ様ウイルス」となる)を使う必要はない、というのが提言の骨子である。

 この点は重要なので、もう少し解説を加えたい。表3にいくつかのウイルスを科、属、種の順にならべてみた。Hepadnaviridaeという科の中にOrthohepadnavirusという属がある。その中に種としてHepatitis B virus があリ、このHepatitis B virus という種名を通常用いている(日本語の文脈の中ではB型肝炎ウイルスとなる)。Retroviridaeという科の中に属として のLentivirusがあり、種としてHIV-1(Human immunodeficiency virus-1)があリ、このHIV-1という種名を通常用いている。また、Paramyxoviridaeという科の中のMorbillivirus属の1ウイルス種としてMeasles virus (麻疹ウイル ス)があるが、種の名前である麻疹ウイルスを使う。同じParamyxoviridaeの中の Rubulavirus属でもこの属名は一般にはあまりなじみがなく、Rubella virus (風疹ウイルス)という種名を使う。Rhabdoviridaeという 科名はわかるが、Lyssavirusという属の名前をいわれてもピンとこない人が多い。ふだん使うのはRabies virus(狂犬病ウイルス)という種名である。RotavirusInfluenzavirusはどうか。これは一見属名を使っているように見えるが、これらは習慣的にA群ロタウイルスやA型インフルエンザウイルスを意味していることが多く、事実上、種名を使っているのと同じだと考えてよい。

 ただし例外もある。例えばPicornavirdaeEnterovirus属である。これもICTV第7次報告で大きく変わったが、Enterovirus属の中にはPoliovirusHuman enterovirus AHuman enterovirus Bなど9つの種が存在する。この場合はまとめて属名でエンテロウイルス感染症という使われ方をしている。

 このように見てくると、胃腸炎を起こすカリシウイルス科ウイルスについては、属名を使わずに、ICTVが正式に決定した種名であるNorwalk virusとSapporo virusという名前を使っていくべきであるというのが、ワーキンググループの結論である。  ところで、ICTVのスタディグループが関与していない(関与できない)ウイルス種より下位の分類と呼称に関して、Norwalk virusSapporo virusといった場合、ウイルス種名とウイルス株名が同じになるという問題がでてくる。ウイルス種名はICTVが正式に決定したものであるから、ウイルス株名の表記をNorwalk virus/68とするのが現実的な方法であると考える。同様に、1982年に流行したSapporo virusのプロトタイプ株名はSapporo virus/82と表記されるのがよい。

 ヒトに胃腸炎を起こすカリシウイルス科ウイルスに言及するときに、human calicivirus(ヒトカリシウイルス)という言葉を使っていいのかという問題がある。すなわち、human calicivirusをNorwalk virusSapporo virusとの両方を含めてヒトから検出されるカリシウイルス科のウイルスという意味で、使ってよいのか。ワーキンググループの結論は、このような使用法は断じてすべきでないというものである。その理由の一つはNorwalk virusとSapporo virusは種が異なるのはもちろん、属のレベルでも異なったウイルスであるからである。もう一つの理由はhuman calicivirusと言う名称が、第6次報告で正式種名として取り上げられたことも含めて、歴史的に見て実に多様な使われ方をしてきたことから、これ以上の言葉の混乱は避けるべきだからである。




脚注:* 標準種または模式種と訳され、ウイルス分類学上の用語であるが「科(family)」、「属(genus)」、「種(species)」という分類体系の種とは違った意味で使われる。もとへ戻る


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