3. 衛生研究所を中心とした衛生行政の現場で
使われているウイルス名の実情と
この現状にICTVの第7次報告分類をどう反映させるか

 わが国では従来から小型球形ウイルスという用語が広く用いられてきた。下痢症ウイルスの専門家が使ってきた小型球形ウイルスとは、small round virusではなく、small round structured virusのことであり、それゆえ、小型球形ウイルスはSRSVと略称されてきた。小型球形ウイルスという名称は、1982年に英国のCaulとAppltonがさまざまな下痢症患者の糞便に見い出される小型のウイルスを電顕形態学的に分類整理するスキームを提唱した中で用いられたものに由来している。しかし、その後ウイルス同定の主流が電顕形態学から遺伝子の時代になった今日までうまく使われ、生き続けてきた結果、その意味するところは、時と場合にあわせて変容しているのが実情である。たとえば、遺伝子レベルで検出され、電顕観察が全く行われなくとも小型球形ウイルスと同定・報告されてきた。さらに、1997年(平成9年)の食品衛生法の改正にともない小型球形ウイルスという用語が法律面からも正式に認められたかっこうになった。

 ICTVの第7次報告に示されたカリシウイルス科ウイルスの分類と命名が提示された現在、このSRSVの存在場所はなくなるはずである。学問的な記述をするには小型球形ウイルスというもはや国際的に通用しない用語を廃するのに問題はないだろう。しかし、小型球形ウイルスという名前とともにウイルス性食中毒が法律的に認知され、実際に使われはじめたばかりの衛生行政の第一線では、学問的、国際的立場での正確性と行政的適法性とが衝突し、混乱を起こすことは避けがたい。そこで、以下に、衛生行政の現場で使われているウイルス名の現況を例示し、想定される具体的状況下でどういうウイルス名を用いたらもっとも望ましいかという点について、ワーキンググループの提言を示す。

 衛生研究所で食品を媒介としたウイルス性食中毒事例を調査し小型球形ウイルスを検出した場合、その検査結果は2つの流れに沿って報告される。1つは、保健所または自治体を通じて厚生省へ報告が行くものであり、食品衛生法にもとづく検査結果の流れである。この時の報告は、「小型球形ウイルス(SRSV)が検出された」となる。これは食品衛生法にもとづく行政検査であるので当然のことである。

 もう1つは、感染症情報センターへ「ウイルスを疑う胃腸炎の集団発生」として報告される流れである。この場合、表4に示す様式によりオンラインシステムを通して病原体検出情報が入力される。この時の報告は、電顕のみで検出した場合、「小型球形ウイルス(SRSV)が検出された」と報告されるが、PCR法により検出した場合、「Norwalk-like virus (NLV)が検出された」と報告される。なお、後者の場合、PCR法のみのときは所属genogroup不明となり、さらに詰めの検査を行っていればgenogrouop I または genogroup II という下位分類を含めて報告できる。なお、衛生研究所から感染症情報センターへの報告は、ウイルス性食中毒事例、すなわち「ウイルスを疑う胃腸炎の集団発生」の他、感染症発生動向調査の一環として、急性胃腸炎の散発例からのウイルス検査結果も報告される。これも、オンラインシステムを通して「ウイルスの検出状況」の項目に表4にしたがって入力される。

 このような現状に対してワーキンググループの見解は次のように報告することを推奨する。検査が電顕のみで行われた場合、「小型球形ウイルスが検出された」と報告するのが正しい。小型球形ウイルス検出用プライマーによって遺伝子レベルの検査が行われた場合であれば、このプライマーが検出しているものは、ノーウォークウイルス(Norwalk virus)であるので、食品衛生法に対応する食中毒の行政検査結果報告は、「小型球形ウイルス(ノーウォークウイルス)」とする。(ノーウォークウイルス以外のウイルスであればその他のウイルスと記載するのは当然のことである。)感染症情報センターへの報告は現行どおりでよい。ただし、ワーキンググループから感染症情報センターへ、「Norwalk-like virus (NLV)」という入力画面を「Norwalk virus (NV)」に変更されるよう提言する予定である。

 電顕で典型的なカリシウイルス様粒子を検出した場合、現状では、「小型球形ウイルスを認めた」と報告して、さらに粒子形態の説明を加えた報告がなされている。感染症情報センターへも、電顕のみで検出した場合に相当するので、「小型球形ウイルスが検出された」と報告されていて、必要に応じて形態の説明が添付されている。

 これに対するワーキンググループの見解は、この現状どおり、電顕形態学が唯一の同定根拠であるのだから、小型球形ウイルスと表記するのが正しいと考える。サッポロウイルス(Sapporo virus)である可能性は高いが、サッポロウイルスの同定基準はあくまでも遺伝子レベルの同定にあり、形態学的にはできないので、サッポロウイルスと記載するのは好ましくない。電顕で典型的なカリシウイルス様粒子が観察されるが、遺伝子レベルでNorwalk virus ノーウォークウイルスと同定される例もある。また、カリシウイルスという付加的記載はかまわないが、ヒトカリシウイルスという記載を今後一貫して廃止すべきであるというのがワーキンググループの見解であることを再度強調したい。

 電顕でその他の小型球形ウイルス、たとえば、アストロウイルス粒子が見つかった場合、行政機関へは「小型球形ウイルス」と報告しているところと、「アストロウイルス」と報告するところがある。前者の場合、形態説明をあわせて行っている場合もあるとのことである。感染症情報センターへは、電顕のみで検出した場合に相当するので、「アストロウイルス( not typed)」と報告される場合もあれば、単に「小型球形ウイルス」と報告されることもある。

 これに対するワーキンググループの見解は、電顕形態学的にアストロウイルス粒子と判定されるウイルスが検出された場合には、これを「アストロウイルス」と報告すべきで、あえて「小型球形ウイルス」と報告すべきではないと考える。もちろん、電顕形態学的にアストロウイルス粒子の可能性はあるが、確実性が乏しい場合に、これを「小型球形ウイルス」と報告するのはやむを得ない。

 ところで衛生研究所の研究者が、小型球形ウイルス(SRSV)という用語をどう解釈し 、使用しているのか、すなわち、ウイルス性食中毒事例で大部分を占める小型球形ウイルスをノーウォークウイルス(Norwalk virus )(調査では誤解を避けるため、「Norwalk-like virus (NLV)」という言葉を使った)と同義語として認識しているのかどうかについての現状を述べる。多くの研究者は小型球形ウイルスとNorwalk-like virusとは同じではなく、微妙な違いがあることを認識しているが、行政検査の報告には小型球形ウイルス(SRSV)を使い、感染症情報センターへはNorwalk-like virusと報告している。また、学術論文などウイルス学的に正確な表記が必要な場合にはNorwalk-like virusを使うとしている。すなわち、ICTVの第7次報告に基づくカリシウイルス科 ウイルスの分類と命名は専門用語としてよく浸透していると言える。また、少なからぬ研究者がNorwalk-like virusesと Sapporo-like virusesが暫定的であることを承知しているが、最終的な属名が決定するまでNorwalk-like virusesと Sapporo-like virusesを便宜的に使用せざるを得ないと考えている。ワーキンググループが提言している、Norwalk virus ノーウォークウイルスとSapporo virusサッポロウイルスという用語を用いれば、暫定的という問題はないことを理解いただきたい。

 衛生研究所の下痢症ウイルス専門家の間にICTVの第7次報告に基づくカリシウイルス科 ウイルスの分類と命名が専門用語としてよく浸透している一方、彼らが、「衛生行政坦当者、臨床医、食品の生産や流通の各部門の関係者、マスコミ関係者、さらに医学教育の部門、例えば医学専門書など各方面で小型球形ウイルスをNorwalk-like viruses(つまりNorwalk virus ノーウォークウイルス)と同義語的に考えている」と認識している。つまり、事情に精通している専門家は別として、世の中では小型球形ウイルスを(ICTVの第7次報告による分類上で)ノーウォークウイルス(Norwalk virus )(というウイルス種に一括されるウイルスと)と同一であるととらえている。ワーキンググループではこの微妙なずれは等閑視できない問題であると考えている。


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