話題提供

ヒト・ウシのトロウイルス


林 志直(愛知県農林水産部畜産課)


 トロウイルス(Nidovirales, Coronaviridae, Torovirus)に関する最初の報告として、Weissらが1972年にスイスで下痢を呈して死亡した馬より分離した馬トロウイルス(Berne virus)が上げられる。次いで、Woodeらは1982年に米国で牛下痢便中に牛トロウイルス(Breda virus)が検出されたことを報告した。その後、馬、牛、羊、ヤギ、豚、猫、ウサギ、マウスでBerne virusに対する抗体が検出されたことが報告されている。また、Berne virusとBreda virusは抗原学的に交差し、Breda virusは2つの血清型に分類できることが知られている。

 トロウイルスは牛トロウイルスについてもっとも研究が進んでおり、実験感染により下痢を発現させ、牛集団では高率に抗体を保有していることなどが報告されている。ヒトにおいては、ヒトの下痢便中にBerne virusやBreda virusと抗原学的に交差するトロウイルス様粒子が電子顕微鏡で確認され、抗原検出ELISA法やRT-PCR法によりウイルス抗原や遺伝子が検出されたことが報告されている。そのため、トロウイルスはヒトでの下痢症に関与していると考えられている。

 トロウイルスは通常、培養細胞で増殖が困難であり、唯一の例外が馬トロウイルス1株のみであった。そのため、牛トロウイルスを人工的に増やすためにノトバイオート牛への実験感染が報告されているが、ノトバイオート牛は限られた機関でしか使用できないため、トロウイルスの増殖様式や疫学実態は不明な点が多く残されている。我々が下痢で死亡した子牛1頭の回腸乳剤からウイルス分離に成功した牛トロウイルスAichi/2004株は、ヒト直腸癌由来株化細胞(HRT-18細胞)上で細胞変性効果を示して増殖する。このことから、当該株は世界で初めて培養細胞を用いて分離された牛トロウイルスである。

 国内での牛トロウイルスの浸潤状況に関する報告は見当たらなかったため、まず浸潤状況を調査した。子牛血清を用いた中和抗体検査を実施した結果、49農場833頭中49農場650頭(78%)の子牛で抗体陽性を示した。成牛血清では、94農場791頭中94農場790頭(99%)で抗体陽性となった。2004年12月から2007年9月までに、愛知県西三河家畜保健衛生所(現在は中央家畜保健衛生所)病性鑑定室で検査した牛下痢症に関する病性鑑定事例23事例79頭のうち、糞便より牛トロウイルス遺伝子が検出された事例は本事例を含めて4事例7頭であった。内訳は1か月齢未満が4頭、3〜4ヶ月齢が2頭、成牛が1頭であった。以上の結果より日本においても、牛トロウイルスは牛に広く浸潤していることが確認され、牛の下痢症に関与している可能性が推察された。

 ヒトトロウイルスと牛トロウイルスがどの程度抗原学的に交差するか、また遺伝学的関連はどうかなどは今後の研究に委ねられるが、今回培養細胞で増殖可能なトロウイルスAichi/2004株を分離できたことにより、当該株がヒトでのトロウイルス感染の調査研究に寄与することが期待される。


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