基盤研究B(海外)中国先史狩猟民埋葬遺跡の発掘調査 -ユーラシア東部の人類史解明に向けて
基盤研究B(海外学術) 平成25年~29年 研究代表者 松村博文
研究目的
ユーラシア東部の現生人類の起源については、7万年前ほどにアフリカからアジア南縁ルートを経て拡散したグループと、シベリアのステップ地帯を横断し3万年ほど前に北東アジアに達したグループを想定することが可能である。後者は北東アジアにおいて寒冷地適応を受け、その形態的特徴を得て長江流域まで南下し、水稲農耕の技術を獲得した。その後、稲作農耕民として新石器時代に急激に居住域を拡散させ、各地に先住していた南方の特徴をもった狩猟民と置換ないし混血したことは、日本列島(縄文人と弥生人の関係)を含む大陸辺縁部で明らかになりつつある。このような南北の2つの異なった系譜の集団の拡散移住によっておこった人類史上のイベントは、その舞台の中心となったはずの中国では全く明らかになっていない。本研究では、広西壮族自治省に位置する約6000 年前の採集狩猟民の灰窯田(Hui Yao Tian)遺跡の発掘調査を実施し、埋葬人骨の形態学的・遺伝学的分析により、中国におけるこのような先史狩猟民と後の農耕民との間に遺伝的不連続性(交替ないし大規模混血)の有無を検証し、そのバックグラウンドとなる上記に述べたようなユーラシア東部の人類史のシナリオの実証に向けた研究を展開している。
研究組織
日本側メンバー
氏名 | 所属 | 研究内容 |
---|---|---|
松村 博文(代表) | 札幌医科大学 教授 | 発掘調査指揮と出土人骨の形態学的研究 |
久保田 慎二(分担) | 東京大学文学系研究科 PD特別研究員 | 考古遺物の分析と埋葬様式の比較 |
山形 眞理子(分担) | 金沢大学国際文化資源学研究センター 特任教授 | 考古遺物の分析 |
海部 陽介(分担) | 国立科学博物館 研究主幹 | 出土人骨の形態解析 港川人、縄文人との比較 |
篠田 謙一(分担) | 国立科学博物館 研究グループ長 | 出土人骨のmtDNA 分析 |
澤田 純明 (分担) | 新潟福祉大学・医療技術学部・准教授 | 出土人骨の古病理学と動物考古学的研究 |
渡辺 慎也(協力) | 豊島区教育委員会 | 考古遺物の分析と埋葬様式の比較 |
深山 絵実梨(協力) | 日本学術振興会特別研究員 | 考古遺物の分析と埋葬様式の比較 |
中国側メンバー(海外共同研究者)
氏名 | 所属 | 研究内容 |
---|---|---|
林 強 | 広西文物考古研究所所長 | 発掘調査総責任者 |
李 珍 | 広西文物考古研究所研究官 | 発掘現場指揮と埋葬様式と文化遺物の考古学的研究 |
黄 強 | 南寧市博物館研究官 | 埋葬様式と文化遺物の考古学的研究 |
オーストラリア側メンバー(海外共同研究者)
氏名 | 所属 | 研究内容 |
---|---|---|
洪曉純 | オーストラリア国立大学 考古人類学部 研究員 | 文化遺物の考古学的研究 |
ベトナム側メンバー(海外共同研究者)
氏名 | 所属 | 研究内容 |
---|---|---|
Nguyen Lan Cuong | ベトナム考古学協会 理事 | 出土人骨の形態学的研究 |
現地発掘調査
共同セミナーの開催
開催日:2013年11月20日
広西壮族自治区文物考古研究所
南寧市にて
広西壮族自治区文物考古研究所
南寧市にて
研究成果
広西壮族自治省の灰窯田遺跡の発掘調査により埋葬人骨の剖出と取り上げをおこない、近隣同時期の同区隆安県に位置する鯉魚坡遺跡の出土人骨とも合わせて、およそ文化遺物も含むおよそ90体分の人骨の復元整理作業を期間の前半におこないました。後半では各研究者の専門と目的に応じた個別の分析と研究を実施した。まず絶対年代が不明でああったため、加速器分析研究所および北京大学に依頼して年代測定をおこないました。その結果、炭化物とヒトの歯のコラーゲンからAMS放射性炭素年代の測定に成功し、灰窯田が9000−8300年前、鯉魚坡遺跡が7000−7600年前の推定値が示され、これらの遺跡が当初推定されていた6000年BPよりもかなり古いことがわかっています。
頭骨形態と計測および形態所見は、松村と海部と久保田が担当しデータを採取した。海部は高精度3次元レーザースキャナを持ち込み、埋葬状態での人骨の解剖学的3次元位置形態データと復元された頭骨の3次元データを収集し、発掘により消失した埋葬のポジションを高精度で再現が可能となり貴重な記録として残しました。この埋葬様式については、坐葬や体肢の一部を切断するなどユニークな風習が認められていたが、さらなる検証の結果、灰窯田遺跡には再葬墓が含まれており、一次葬として風葬などによってミイラを作成していた可能性が示唆されました。頭骨形態データの分析は主に代表者の松村が担当した。研究にさしあたって破損した頭骨の復元についてはベトナム考古学院から高い技術を有するNguyen Lan Cuong博士の協力を得て実施しました。復元された頭骨の計測データから、両遺跡に埋葬された人々は、新石器時代以降の農耕民や現代の中国人とは全く異なり、インドシナ半島の完新世初頭以前の中石器ホアビン文化の狩猟民や現代のオーストラロ・パプア系集団と類似しており、アフリカから東アジアへ移住した初期のホモ・サピエンスのグループに属することが強く示唆された。縄文人や港川人も比較的近縁であることが示唆されています。久保田の協力を得て実施した歯の形態データの分析においても、両遺跡の集団はどちらも後の新石器時代の農耕民や現代の中国集団とは大きく異なる系譜に属することが明らかになりました。また近隣に位置する桂林の甑皮岩遺跡の資料調査をおこなったところ、当該遺跡の集団とほぼ同系譜として対比できる遺跡であることがわかりました。湖南省の新石器初頭の高廟遺跡の人骨についても上記広西の集団と密接な系譜関係がみいだされ、オーストロ・パプア系の採集狩猟民が中国南部の広範囲に居住していたことが解明されています。
遺伝子解析では、篠田により歯と側頭骨内耳を分析用試料とした。後者の試料により2例についてAPLP法をもちいてハプログループを決定することができました。1例は灰窯田遺跡の試料のスンダランド由来とみなされるM7タイプ、他の1例は鯉魚坡の試料で現代アジア人に広範囲にみとめられるD4a4タイプでした。
澤田は人骨の古病理学的データ所見を採取し、ベトナムMan Bac遺跡などの新石器時代農耕民との比較をおこない、両遺跡とも齲歯が少ないことなど採集狩猟民としての顕著な傾向をみいだしました。食性については灰窯田遺跡の炭化植物を分析した結果、大量のカナリウムが検出されています。
山形と久保田は、同時代で類似する埋葬様式を呈するベトナムのコンコンガ遺跡や中国桂林市の甑皮岩遺跡などとの考古学的比較研究をおこないました。文化遺物の関係では、中国広西と周辺地域の土器を主とする出土遺物を比較するため、ベトナム北部と中部で調査を実施した結果。両地区は十万大山などの山脈で地理的に分断されるが、特にダブット文化期には叩目を持つ丸底釜形土器や埋葬方法、貝類の利用など多くの面で類似性が高く、極めて密な交流関係が示唆されました。中部でのバウドゥ遺跡では貝塚を形成し坐葬や体肢の一部を切断するなどユニークな埋葬風習で類似性をみいだした。これらは広西の灰窯田・鯉魚坡よりかなり新しく位置づけられています。しかしダブット文化やバドゥ遺跡ウは6000年前であり、7000−9000年前の灰窯田遺跡や鯉魚坡遺跡の年代とは大きな乖離があるため、その解釈は今後の再検討課題として残されています。
以上の成果は英文報告書として出版しました。(無料ダウンロード先 図書の項目参照)
頭骨形態と計測および形態所見は、松村と海部と久保田が担当しデータを採取した。海部は高精度3次元レーザースキャナを持ち込み、埋葬状態での人骨の解剖学的3次元位置形態データと復元された頭骨の3次元データを収集し、発掘により消失した埋葬のポジションを高精度で再現が可能となり貴重な記録として残しました。この埋葬様式については、坐葬や体肢の一部を切断するなどユニークな風習が認められていたが、さらなる検証の結果、灰窯田遺跡には再葬墓が含まれており、一次葬として風葬などによってミイラを作成していた可能性が示唆されました。頭骨形態データの分析は主に代表者の松村が担当した。研究にさしあたって破損した頭骨の復元についてはベトナム考古学院から高い技術を有するNguyen Lan Cuong博士の協力を得て実施しました。復元された頭骨の計測データから、両遺跡に埋葬された人々は、新石器時代以降の農耕民や現代の中国人とは全く異なり、インドシナ半島の完新世初頭以前の中石器ホアビン文化の狩猟民や現代のオーストラロ・パプア系集団と類似しており、アフリカから東アジアへ移住した初期のホモ・サピエンスのグループに属することが強く示唆された。縄文人や港川人も比較的近縁であることが示唆されています。久保田の協力を得て実施した歯の形態データの分析においても、両遺跡の集団はどちらも後の新石器時代の農耕民や現代の中国集団とは大きく異なる系譜に属することが明らかになりました。また近隣に位置する桂林の甑皮岩遺跡の資料調査をおこなったところ、当該遺跡の集団とほぼ同系譜として対比できる遺跡であることがわかりました。湖南省の新石器初頭の高廟遺跡の人骨についても上記広西の集団と密接な系譜関係がみいだされ、オーストロ・パプア系の採集狩猟民が中国南部の広範囲に居住していたことが解明されています。
遺伝子解析では、篠田により歯と側頭骨内耳を分析用試料とした。後者の試料により2例についてAPLP法をもちいてハプログループを決定することができました。1例は灰窯田遺跡の試料のスンダランド由来とみなされるM7タイプ、他の1例は鯉魚坡の試料で現代アジア人に広範囲にみとめられるD4a4タイプでした。
澤田は人骨の古病理学的データ所見を採取し、ベトナムMan Bac遺跡などの新石器時代農耕民との比較をおこない、両遺跡とも齲歯が少ないことなど採集狩猟民としての顕著な傾向をみいだしました。食性については灰窯田遺跡の炭化植物を分析した結果、大量のカナリウムが検出されています。
山形と久保田は、同時代で類似する埋葬様式を呈するベトナムのコンコンガ遺跡や中国桂林市の甑皮岩遺跡などとの考古学的比較研究をおこないました。文化遺物の関係では、中国広西と周辺地域の土器を主とする出土遺物を比較するため、ベトナム北部と中部で調査を実施した結果。両地区は十万大山などの山脈で地理的に分断されるが、特にダブット文化期には叩目を持つ丸底釜形土器や埋葬方法、貝類の利用など多くの面で類似性が高く、極めて密な交流関係が示唆されました。中部でのバウドゥ遺跡では貝塚を形成し坐葬や体肢の一部を切断するなどユニークな埋葬風習で類似性をみいだした。これらは広西の灰窯田・鯉魚坡よりかなり新しく位置づけられています。しかしダブット文化やバドゥ遺跡ウは6000年前であり、7000−9000年前の灰窯田遺跡や鯉魚坡遺跡の年代とは大きな乖離があるため、その解釈は今後の再検討課題として残されています。
以上の成果は英文報告書として出版しました。(無料ダウンロード先 図書の項目参照)
図書
Matsumura H, Hung HC, Li Z, Shinoda K, (editors.) Bio-Anthropological Studies of Early Holocene Hunter-Gatherer Sites at Huiyaotian and Liyupo in Guangxi, China. National Museum of Nature and Science Monographs No. 47. pp229, 2017.
論文・学会発表・講演
科研費データベースに掲載