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wpe1.jpg (3364 バイト) 情報センター所長挨拶 辰巳 治之
(医学部解剖学第一講座 教授)

 谷内前学長が巻頭言を書かれたSAINS newsが創刊され約7年経った。それは1993年2月のことであった。それから情報センターニュース発刊までの道程は遠く、しかし、振返ってみるとあっと言うまでもあった。センターニュースとしては創刊号であるが、SAINS newsとしては、第五号が発刊されたことになる。

今も懐かしい、医学部東棟4階に、有志があつまり毎週金・火曜日に、夜遅くまでNetwork、UNIX、画像処理等の勉強会を行っていた。医学部情報科学の小島先生、保健医療学部情報科学の大柳先生を始め、物理の山田先生、放射線部の片桐さん、北大医学部のネットワークを立ち上げるにいたった佐藤先生(一解)、大川先生(一解/二外)、そして林君(微生物)と当時の学生さん達:高川君(二内)、澤君(MGH)、橘君(?)、中村君(一解)、見田君(一内)、中橋君(情報センター)、日下部君(四内)、須佐君(麻酔)、小西君(耳鼻科)、佐々木君(脳外)、菊地君(一内)、UNC(Unix Network Club)の面々。また、色々な先生方にもお世話になった。当時、一病の菊地教授、三内の鈴木教授、機器診断の福田教授、公衆衛生の三宅教授、心理学の竹川助教授、三内の浅川助教授、二病の水無瀬助教授、癌研病理の古川助教授、和歌山医大へ教授として栄転された耳鼻科の山中助教授、 そして、第一解剖の高橋杏三先生などなどである。このように沢山の人に支えられながら、そのノウハウや実績の上に今の情報センターがある。

高度情報化に向け、平成元年、菊地学長から命をうけ、いろいろと用意をしてきた者にとっては万感の思いがある。情報センターが動き出すまでこんなに時間がかかったが、さらに真の情報化となると、まだまだ、これからであろう。
もちろん、21世紀に向かっての高度情報化は、情報センターをつくっただけでは無理である。

昭和の時代に、私は、2ー3年経つと情報化によって世の中が変る、今は、情報革命の最中であると講演していた。あれからもう15年ほど経つがまだまだこれからである。したがって、この遅々とした動きは札幌医大だけでは無い。
これはあたかも18ー19世紀の産業革命の前に長い時間をかけたルネッサンスの時代(13ー15世紀)があるのと同じかもしれない。ルネッサンスが人間(文芸)復興といわれるように、人間の考え方が大きく変らないと社会、大学も変らない。

解剖学においても、ルネッサンスの時代に、Leonardo da Vinciのような芸術家が自らの手で解剖しすぐれた解剖図譜を残している。それがAndreasVesaliusなどに影響ををあたえ、解剖学は飛躍的に進歩した。決して道具の発達により進歩したのではなく、人間の考え方が変ったことがきっかけであった。
その後に顕微鏡が出現し、細胞学説が称えられ、電子顕微鏡がでてきて分子レベルまで観察できるようになった。

高度情報化を、単なるコンピュータを導入し、ネットワークを敷設することと考えるのではなく、人類の発達の延長線上、即ち、脳の進化の延長線が、今のコンピュータで、全世界がインターネットにより一つの巨大な頭脳を形成しつつある。我が附属情報センターも、世界の頭脳を利用するだけでなく、逆に世界の中枢神経系となり、人類の発展に寄与したいものである。その為の構想を眈々と練っている。

札幌医大では、平成元年にsapmed.ac.jpというDomain Nameを取得し、平成4年にインターネットに接続し、平成5年には、Class Bというとてつもなく大きなネットワークのアドレス, IP addressを取得し、さらに日本のインターネットの発達の原動力となった、JCRN(http://www.sapmed.ac.jp/jcrn/)、JPNIC、を助け、日本全体の高度情報化にも貢献してきたのである。

札幌医大に於ける、いろいろな地道な成果が認められ平成9年には、通産省の先進アプリにより、最先端のGigabit Networkが学内にくまなく整備され、日本のトップレベルを走っている。NASA, NLM(National Library of Medicine)との情報G7のGIBNプロジェクトの成果も先日プレスリリースした(詳細は http://www.sapmed.ac.jp/gibn/ 参照)。

Hyper End Userとして、コンピュータを単なるコンピュータでなく、自分の脳の延長として附属情報センターを活用し、日本のCOE(Center Of Excellence)を目指し、多くの皆さんが活躍されることを切に祈り、所長の挨拶とさせて頂きたい。