北海道大学・地球環境科学研究科
北大構内の木々に降りつむ雪を眺めていると、ふと昨年イサカの街でみていた冬景色を思い出します。昨年の今日はThanksgiving Dayで、今ごろは街から12マイルほども離れた山あいのKarenさんのお宅で、彼女の手料理の七面鳥をご馳走になっていました。暖炉の火と窓辺のろうそくの炎が、クリスマスツリーのようになった辺りの木々にゆらゆらと映っているのが印象的でした。そういえば、Andrea の送別会のときも、暖炉の炎が降りつもる雪に輝いていました。イサカ市はニューヨーク市と五大湖の中間に位置し、コーネル大学を中心に発達した小さな大学町です。カユガ湖という美しい湖に面しており、ちょうど支笏湖の湖畔に街や大学が建っているような雰囲気です。昨年は私が北大に勤めてから10年目の年で、なんとか11か月ほど札幌を抜け出し、家族ともどもイサカで暮らす機会をいただきました。コーネル大学ではDavid Stern博士とKaren Kindle 博士のジョイントグループが、単細胞藻類のクラミドモナスを材料にして光合成関連遺伝子のユニークな研究を進めており、そのグループに加わってクラミドモナスの分子遺伝学的実験手法を学びたいというのが渡米の目的でした。
David Stern 博士は遺伝学で有名な Herbert Stern 教授の息子さんで、かつてカリフォルニア大学サンジエゴ校のH. Stern 教授のもとには若き日の谷藤茂行先生(北大名誉教授、元遺伝子実験施設長)や堀田康雄先生(現奈良先端大教授)も留学されておられました。私はかつて谷藤施設長のもとで助手をしていましたので、2代にわたってそれぞれ Dr. Stern のお世話になるという奇遇なことになりました。David はまだ30代後半の若者ですが、ケンブリッジ大学での修士論文が Nature のarticleになったという伝説の持ち主です。彼はコーネル大学構内に建っているボイス・トンプソン植物研究所(略称BTI, 独自の財団によって運営されている古い歴史をもった私立の研究所)の研究員をつとめており、コーネル大学のAssociate Professorを兼任しています。研究は一貫して植物オルガネラ(葉緑体、ミコトンドリア)遺伝子の発現調節機構、就中、post transcriptional regulation に精力的に取り組んでいます。BTIの研究員に就任するとその紹介記事がニューヨークタイムズの科学欄にのるくらい名誉あるポジションなのだそうですが、彼の経歴をみると、修士とポスドクのときにそれぞれ Nature, Cell に優れた論文を書いており、それが若くしていいポジションを得たことにつながっているようです。彼の研究室は4名のポスドクの他、大学院生や学部生、技官など総勢十余名で、とても平均年齢の若い研究室です。
一方、Karen Kindle 博士はクラミドモナスの核遺伝子について簡便な形質転換法を確立したことで知られる研究者で、クラミドモナスが「モデル生物」として飛躍するきっかけをつくった立て役者のひとりです。その甲斐あってか、最近はクラミドモナスも「緑の酵母」とか「光合成をする酵母」等のニックネームを頂戴しています。Karen は学内共同利用施設である「植物科学センター」の責任者をつとめており、ここで3名のポスドクとともにクラミドモナスの分子遺伝学に取り組んでいます。
David とKaren の「クラミドモナスグループ」は私を含めて10名ほどで、殆どがポスドクです。毎週のグループミーテイングは歩いて10分ほどの距離にあるBTIと植物科学センターで交互に開かれますが、普段はシャーレやコルベンをもってこの間の道を行ったりきたりしています。グループ全体としては挿入突然変異などの分子遺伝学的手法をつかって遺伝子の発現制御機構を解明することを目標としていますが、各自のテーマは、taggingによる光合成突然変異体の単離、葉緑体mRNAの安定性や翻訳活性の制御機構、核コードの葉緑体タンパク質の輸送/膜透過機構、等々、さまざまです。Karen は分子遺伝学的センスやクラミドモナスの知識に優れており、一方Davidは葉緑体遺伝子の研究に実績をもっており、このふたりは理想的な共同研究を進めているようにみえました。ただふたりとも興奮すると猛烈な早口になるので、彼等の言っていることを理解するのにはとても苦労しました。私はというとクラミドモナスの核遺伝子に興味をもっていたのですが、Karenのもとで実際にクラミドモナスの勉強を始めてみたところ、外来遺伝子が核ゲノムに導入されて発現した例は殆ど無いとか、核での形質転換につかえるいい調節プロモーターが無いとか、酵母とは違ってクラミドモナスはまだまだ問題の多い系であることがわかってきました。そこで、とりあえず核に形質転換して使える調節プロモーターの検索をやってみることにしました。残念ながら成果をまとめるにはあと2〜3か月欲しかったというところですが、それでもクラミドモナスの実験系について貴重な感触を得ることができました。
話は前後しますが、Karen のいる 「植物科学センター」はちょうど北大の遺伝子実験施設のようなところで、形質転換植物の実験に必要な設備機器を共同利用に供する一方、専門のワークショップコーデイネーターがいて定期的に学内外に開かれた講習会を開催しています。植物科学センターの研究室には総勢10余名ほどが属しており、Karenのグループの他、それぞれ独自のグラントとアイデアで研究を進めているポスドク達が集まっており、一匹狼というのか、いわば年季を経たポスドク達の梁山泊のような雰囲気でした。ここの平均年齢は30代半ばくらいで、私の滞在していた短い間にも5人のポスドクが、ある者はAssistant Professor の職を得て、またある者は研究生活に見切りをつけ、それぞれにここを去っていきました。そんな彼等と話をしていると、超特急で駆け上っているDavidとはまた別の厳しい世界のあることがわかります。そして、大多数のポスドクは、当然ながらこちらのほうに属しています。Jeff は誰からも好かれるスポーツ万能の nice guyで、トマトの染色体のYAC-based mapping等の仕事をしていました。私は彼からスカッシュを教えてもらっていましたが、とうとう私が一度も勝てないうちに、彼は「カウボーイもそろそろPermanent jobをみつけなきゃね、」と粋な科白を残し、妻の待つ西部へ旅立っていきました。彼のベンチには暫くするとまた新しいポスドクがやって来て、何事もなかったかのように新たなプロジェクトの研究が始まりました。米国の研究者の層の厚さと厳しいcompetitionを教えられました。
ここの連中とレストランにでかけたとき、「今の職業につく前は何をやっていたのか・・・」という話になりました。驚いたことに、一番若いGernotまでが化学会社のエンジニアをやっていた経験があるそうで、みな年齢に呼応した様々な職業経験をもっていました。ずっと大学にいたのは日本人の私だけで、なんだか肩身の狭い思いがしました。Andrea はIVYリーグの名門校で学位をとったのですが、その前は学資をつくるため長く書店に勤めていたそうです。彼女は細胞学出身で、抽象的なクラミドモナスの分子遺伝学にはなんだかなじめないように見えました。後半は彼女とも親しくなり、彼女の苦労話や私の知らなかった米国の一面をいろいろ聞かせてくれましたが、自分の体験からか彼女は研究よりも教育に身を捧げたいといって、まもなく研究室から去っていきました。
AndreaはCommunity collegeの職を探すといっていましたが、今ごろどうしているのでしょうか。そろそろクリスマスカードの季節になってしまいました