北海道大学・薬学部・薬品分子生物学講座
日時:平成9年1月31日
場所:北海道大学・学術交流会館例年,北海道分子生物学研究会が単独で主催しているシンポジウムが今年度は文部省科研費重点領域研究「転写制御ネットワーク」との合同公開シンポジウムの形式で開催された.そこで,従来は4名の演者による午後だけのセッションが8人による朝10時から夕方までのセッションとなった.いずれの演者も,転写制御の分野では最先 端を行く研究を行っており,講演内容は勿論だが,特に講演後のdiscussionは実に盛況であった.例年だと本HAMBの会報に演者による講演内容の要旨が掲載されるが,今年度はそれにあたるものがなく,その代わりとして見聞記を書けという次第となった.筆者の日頃の不勉強のため,個々の演者の講演内容を正確にフォローし詳述することは不可能に近い.そこで,全体の印象と,この分野の最先端の方向性が紹介できればと思っている.
全体の流れとして,ターゲットとなる遺伝子とその発現に関与するタンパク質因子群の相互作用を分子生物学的手法に基づいて研究する演題(半田宏(東工大・生命理工学部),酒井正春(北大・医学部),藤永(札幌医大がん研))がまず示され,次に得られた転写因子遺伝子のトランスジェニック,ノックアウトマウスあるいはショウジョウバエを用いて生体での役割の解明(梅園和彦(奈良先端医大・バイオサイエンス研究科),石井俊輔(理研,筑波ライフサイエンスセンター),瀧伸介,谷口維紹(東大・医学部),影山龍一郎(京大・医学研究科))が続き,最後の特別講演として,京都大学理学研究科の竹市雅俊教授による「神経回路におけるカドヘリンの役割」で締めくくられた.すなわち,細胞レベルから個体レベルでの転写の分子機構へと筋道がとられ,遺伝子発現の全体像を眺めるように構成されていた.時代の流れとして,転写因子を含めて,新規遺伝子cDNAをクローニングした場合,培養細胞での解析と同時にトランスジェニック,ノックアウトマウス等の個体レベルでの解析を並列すべきであることを痛感した.個々の演題に少し言及してみたい.
半田らのグループは,長らくアデノウイルスのE4遺伝子の転写調節研究を行っており,その転写調節エレメントに結合する細胞質因子E4TF1-3の同定とcDNAクローニングを行ってきた.それらのタンパク質と基本転写因子群との相互作用を既に示し,リン酸化等の修飾による活性変化を言及している.この内,はATFと同一であり,そのSer36をカゼインキナーゼIIがリン酸化し,その転写開始に寄与することを明らかとした.
酒井らは,まずラットMaf-1, Maf-2の発現制御機構をJunファミリータンパク質との相互作用の面から検討した.ファミリーはc-jun, jun B, Jun Dなどから構成され,そのAP-1認識複合体の相手としてのFosファミリーにMafは属する.この複合体の組合せには特異性があり,更に認識する塩基配列が組合せにより少しづづ異なることを示した.さらに,発生過程におけるMaf-1, Maf-2の発現をin situ hybridizationで検討し,発生過程でMaf-1とMaf-2は相互に補う,すなわち発現時間と発現場所を違えて機能することを示した.
藤永らは,アデノウイルスE1A遺伝子プロモーターに結合して機能する細胞由来転写因子E1AFの機能をアデノウイルスの細胞癌化機構と絡めて言及した.彼らがcDNAクロ―ニングしたE1AFはEts群転写因子群に属する.の興味深い点は,その発現と細胞癌化の悪性度の指標である浸潤・転移の進行とがパラレルであることである.すなわち,浸潤・転移において重要な役割を果たすマトリクス・メタロプロテアーゼ(MMP)遺伝子はE1AFによって転写活性化を受ける.さらにある種のがん細胞については,その浸潤している先端の細胞でMMP-1, MMP-9とE1AFが同時に高発現していた.梅園らは,長年レチノイン酸とレチノイン酸 レセプターによる転写調節機構に関して多くの成果を上げている.今回,アメリカでのEvansとの共同研究の発展として,これらの遺伝子の動物個体での機能を中心に解析した.
石井らは長年MYBの機能解析を行っており,多くの成果をあげてきた.癌遺伝子産物MYBは塩基配列特異的エンハンサー結合タンパク質である.まず,-MYBはコアクテイベーターとして知られるCBP/p300に結合することを示した.はE1A, Jun, CRBP他 多くの転写因子と結合し,基本転写因子とこれらの調節因子との仲介をするタンパク質として近年注目されている.はC-MYBの転写活性化ドメインに結合し,-MYBとの相互作用が知られるCREBのCBPとの結合領域に結合する.今回,ショウジョウバエにMYB,をoverexpressionさせた系を用いて,発生過程でのMYB, CBPの関与を検討した.その結果,両遺伝子を組合せた場合には羽の発生異常が数多く観察された.谷口らのグループは,, インターフェロンなどの発現調節機構を長年研究しており,この分野における世界のリーダーとしての地位が確立している.中でも,インターフェロン遺伝子調節エレメントに結合するタンパク質としてIRF-1, 2が同定,クローニングされたことは特筆に値する.-1は正に,-2は負に機能する転写調節因子である.-1はその後,複数の研究室で研究対象となり,インターフェロンが制御する遺伝子群に作用すること,更にトランスジェニックマウス,ノックアウトマウスなどが作製され,免疫系の成立過程で重要な機能を有することが明らかとなってきた.また,谷口らのグループはIRF-1が癌抑制遺伝子として機能することを上記の系で発表している.-1のターゲット遺伝子の一つとしてlysyl oxidase geneが同定された.ストレスに関与するこの遺伝子を通じて生体防御が調節されていると考えられる.
影山らは,神経系細胞分化に関与するヘリックス・ループ・ヘリックス型転写因子研究をここ何年か行っており,重要な知見を次々に提出している. Hairy and Enhancer of Split homolog 1 (HES1)はこのカテゴリーに属する転写因子で網膜の分化とともに発現減少する.の過剰発現は網膜分化に抵抗性を示すが,逆にHES1のノックアウトマウスでは網膜分化が促進された.このマウスでは,他にも種々の神経系の発生異常が生じ,特に目の発達異常が観察された.また,他のヘリックス・ループ・ヘリックス型転写因子であるMash-1の神経系発生過程における機能にも言及した.
最後に,ゲストスピーカーとして,竹市先生がカドヘリンの神経回路形成のおける役割を言及した.複雑な解剖学を母体としていたが,実に分かりやすく,カドヘリンが神経系のジャンクションを結んでいる構図を説明された.中でも,各カドヘリンファミリーが解剖学に区別される各神経組織の接着を分担している図には一種の感動を覚えるものがあった.これは,カドヘリンが種々の細胞接着に普遍的に関与する証明でもある.
ざっと全体像を眺めてきたが,最初に述べたように筆者の勉強不足で細部までフォローすることは困難であり,踏み込みの足りなさを指摘されると思う.しかし,現在の転写研究が分子,細胞から個体レベルを通じてものを考えなくてはならなくなっていることを実感させる良い機会であった.