特別講演

下痢症ウイルスの流行疫学


大瀬戸光明(前愛媛県立衛生環境研究所)


 愛媛県立衛生環境研究所では、1968年から1小児科医院を定点として、小児感染症の定点観測方式による病原ウイルス検索を継続して実施してきた。同時期に小児科医の有志を中心とした中国四国小児感染症懇話会が発足し、患者数の多い小児感染症の外来患者数を集計・還元する活動が始まった。曲がりなりにも患者の発生状況と病原ウイルスの流行状況の両面の把握ができるようになり、我々にとっても非常に参考になった。それらの中で、乳児嘔吐下痢症・白色下痢症は、晩秋から冬季にかけて毎年大きな流行を繰り返していたにもかかわらず、細菌検査においてもウイルス分離検査においても、その原因が検出されず、大きな課題となっていた。その頃、1972年にはノーウォークウイルスが、1973年にはロタウイルスの発見がそれぞれ報告された。国内でも、予研(現感染研)、札幌医科大学、東北大学をはじめ、宮城県、東京都、千葉県、埼玉県、愛知県、大阪府、大阪市等の地研でも電子顕微鏡を用いて、下痢症を起こすウイルスの検出に取り組んでいた。

 当衛研では、1980年に電子顕微鏡が導入されたので、早速、小児科外来における散発性の急性胃腸炎の継続的ウイルス検索を開始した。下痢症患者の糞便中にはロタウイルス、アデノウイルス、アストロウイルス、カリシウイルス様ウイルス、その他の小型球形粒子等多彩なウイルス粒子が観察された。しかし、これらのウイルス粒子を同定、型別する試薬が十分でなく、その型別法は極めて混乱していた。特に、現在ノロウイルスと命名されている小型球形粒子については、カキの生食による食中毒例から高率に検出され、食中毒の原因としての役割が確立しつつあったため、診断のためのレファレンスの必要性がたかまっていた。1985年に当時予研部長であった山崎修道先生が「下痢症ウイルスの診断とレファレンスに関する検討委員会」を開催され、各種下痢症ウイルスの診断法の開発と向上を検討することとなった。その中で、1987年には各委員が持ち寄った小型球形粒子浮遊液と患者対血清を用いて交差免疫電顕により、それぞれの粒子間の抗原性の検討を行ったりした。後にこのウイルスのゲノム塩基配列が解明され、それに基づいて分子生物学的方法が開発されるまで、ノロウイルスの同定は困難で、かつ混乱していたことの一面を示している。ウイルス性下痢症の調査研究には、新しい情報と貴重な試料の互いの交換・共有が必要とされ、これらのことから、1989年のウイルス性下痢症研究会の発足につながったものと考えている。  今回は、我々が継続して行ってきた散発性胃腸炎の継続的病原検索から得られた下痢症ウイルスの地域での流行状況、特に、C群ロタウイルス、腸管アデノウイルス、アストロウイルスについての流行疫学の取り組みを紹介する。


←Back   抄録目次   Next→
トップページへもどる