第2病理の歴史

1)第2病理前史

  札幌医科大学の病理学教室は、その前身である道立女子医専の病理学教室を母体としています。道立女子医専の病理学教室は、後に当講座の初代教授となった小野江為則教授が、北海道大学医学部病理学第1講座大学院特別研究生の終了を待って昭和20年に発足した。

第2病理前史
発足当初の札幌医大病理学教室

  昭和25年4月、新制大学として札幌医科大学がスタートし、北海道大学医学部病理学第1講座から札幌医科大学病理学教室の教授として新保幸太郎教授が着任すると、小野江教授は同教室の助教授を兼任し、結核の化学療法およびアレルギー、脱感作機構の研究などが開始された。
  小野江助教授は、昭和27年に札幌医大教授となり、新保教授と共に教室作りに当たった。昭和31年7月、新保教授が日本病理学会総会に宿題報告「ウイルス性疾患の病理」を担当した際、小野江教授はその電子顕微鏡的研究を担当したのをきっかけに、電顕病理学を研究テーマとして、我国における超微構造病理学の草分け的存在として活躍した。

  札幌医科大学の病理学教室では、最初はこのような1教室2教授という大教室制がとられていた。

2)第2病理の誕生

  昭和39年札幌医科大学が講座制をとることを決定したのに伴い、同年7月、新保教授が第1病理を、小野江教授が第2病理を担当することになった。しかし、それ以後も両教授共同での教室運営が継続された。
  昭和40年2月、新保教授の学長就任に伴い、昭和41年1月、藤本輝夫教授が第1病理教授に着任すると、次第にそれぞれの講座が独自の研究テーマを持つようになったが、両講座の協力体制は、委託病理検査、病理解剖、学生の講義や実習など多岐に渡り継続され、現在まで受け継がれている。

3)小野江病理学

  北大医学部の医化学講座の助手を経て病理の大学院に進んだという経歴を持つ小野江教授は、生化学に強く、昭和30年には生化学者である金子愛子助手をスタッフに加え、生化学データと電子顕微鏡による細胞内小器官の超微構造とを対比させた、機能と形態を融合させたダイナミックな病理学を生み出した。また、肝癌の発生機構の研究において、アゾ色素によるラット発癌機構の研究、oval cellの発癌における意義など高い評価を受けた。特にoval cellが小型の肝細胞に分化することの証明は、今日、世界的なトピックスの一つである幹細胞研究の先駆けともいうべきものである。

小野江先生
病理学会時の小野江教授

  昭和43年には日本病理学会総会の宿題報告「肝臓の超微構造病理学」を担当した。また、昭和55年には札幌市で日本病理学会総会を主催するなど、病理学会の中心として活躍した。
  小野江教授は、附属図書館長、共同研究施設部長をへて、昭和55年には副学長兼学務部長となり、臨海医学研究所の所長を兼務したが、昭和57年3月停年となり、退職した。
  代表的著書には「新病理学総論、各論」(南山堂)があり、細胞、代謝障害、肝、胆、膵を分担執筆した。他に第2病理の総力を挙げた小野江教授退職記念出版「電顕腫瘍病理学」(1982年、南山堂)がある。
  昭和57年7月、第2病理の森道夫助教授が後任教授に発令された。


4)森病理学

森先生

  森教授は小野江教授直伝の小器官病理学を中心に、傳法公麿助教授(現、藤女子大学教授)の導入したLECラットの肝炎と肝癌発生の分子機構の研究、小川勝洋助教授(現、旭川医大病理学教授)のアイディアによるキメラ動物による肝発癌過程の解析、肝細胞膜特異的モノクローナル抗体の作製、榎本克彦助教授(現、秋田大学病理学教授)の細胞相互作用の研究、澤田典均助教授(現教授)の細胞培養系を用いた機能病理学的な研究などに支えられて、形態に加えて活発的な細胞生物学病理学研究を展開した。特に1980年代の終わりに中国からの鐘雲留学生を得て作製したモノクローナル抗体7H6による新しいタイト結合関連蛋白7H6抗原の発見を機に、分子生物学的な病理学研究に進んだ。
  平成3年には日本病理学会の宿題報告「細胞骨格の機能病理学」を担当した。
  森教授は、昭和61年から附属病院病理部部長として病理医の育成にも力を注ぎ、さらに道内の地域基幹病院の病理医の充実にも努めた。森教授は動物実験施設部長、共同研究施設部長をへて、平成6年学務部長となり、平成8年からは医学部長となって、そのエネルギーの大半を大学運営に費やすことになったが、教室員の努力で研究は順調に進んだ。
  平成11年5月には基礎医学研究棟が完成し、第2病理は第1病理と共にその11階に移転し、冷暖房が完備し、共通のラジオアイソーブ実験室を同階に持つなど、研究環境は格段に向上した。
  森教授時代の教室員は88名に達し、伝統の「新病理学総論、各論」の分担執筆に加えて、「新細胞病理学-小器官病理学から分子病理学へ-」(南山堂)、「The LEC Rat - A New Model for Human Hepatitis and Liver Cancer -」(Springer)が出版された。退職記念として森病理学の集大成「病気と分子細胞生物学」(メディカルサイエンス・インターナショナル)が制作されている。
  平成12年9月、第二病理の澤田典均助教授が後任教授に発令された。

5)澤田病理学の誕生

集合写真

  澤田教授は、札幌医大がん研究所病理学部門(塚田英之教授)で学位を取得し、留学、(財)癌研究所実験病理部研究員を経て、昭和63年に森病理学教室に加わった。第2病理では、それまでの経験を生かし初代培養肝細胞を用いてLECラット肝発癌過程の解析を手がけた。
  現在、森教授の細胞生物学的病理学の薫陶を受け、タイト結合の機能調節を中心テーマに、組織レベルの機能病理学を展開し、さらには叢林のような病理学教室作りをめざしている。