Entered: [1998.10.10] Updated: [1998.11.19] E-会報 No. 42(1998年 10月)
海外レポート =留学体験記=

スイスに留学する人へ
北海道大学・免疫化学研究所・生化学部門
島 礼(しま ひろし)


 平成7年9月2日から2年半程バーゼルのFriedrich Miescher Institute(FMI)のGeorge Thomas研(細胞増殖,特に蛋白の翻訳に関るシグナル機構の権威)に留学(居候?)していました.それまで勤めていた研究所を退職して,当分日本に帰らないぞと意気込んでいた事を思い出します.39歳で妻子持ち(小学校の子供二人)しかも日本に所属無しの留学はかなり特殊な例かもしれません.これから留学する人の何かの足しになると良いのですが.

(1)スイスのポスドクの給料は世界一.でも物価も高い.
 最初のうちは経済的に大変でしたが,研究所のポスドクの給料がもらえるようになって生活は安定し始めました.日本円に換算して大体600-700万位ですからアメリカのポスドクの2倍以上はもらっていたのではないかと思います.しかし不思議なことに多いはずの給料はすぐ消えていきます.うちのような夫婦に子供二人がいる平均的な家族の場合,アパート代は月に約20万程かかります.また医療保険(義務)は大人約2万,子供約1万ですから合計6万.その他もろもろ(思い出したくないので割愛)かかるのですぐ無くなります.ちなみにテクニシャンは1000万位もらってましたが,それでも生活が苦しいと文句ばっかりいってました.食事代は異常に高いです.スイスでマクドナルドに入ると家族で5千円位とられます.一方doctor courseの学生達は,研究所からかなりの給料が支給されていますのでアルバイト等を考えずに研究に没頭していました.ついでにバカンスにはヨーロッパ内だけでなくアジア,中南米などに繰り出していました.ああ羨ましいかったなあ.

結論 給料明細書を見ても喜んではいけない.スイスで暮らすのは家族持ちには辛い.
   もしあなたがsingleならこの世は天国.学生で行くのも素晴らしい.

(2)シンプルな研究室運営とそこにいた人達
 わがGeorge Thomas ラボはスイスでは珍しい月月火水木金金のラボでした.とにかく行くところまで行く.死にそうになったらバカンスを取って休めというシンプルな哲学で運営されていました.私が前にいた日本のラボと基本的な運営は似ていましたが,大きな違いは!!バカンス!!のところです.あなたはどこでも行けます!!バーゼルはヨーロッパの真ん中です.地中海まで4時間,南仏まで5時間,ブルゴーニュまで2時間,ミラノまで3時間,北海まで7時間,アルザスまで30分,グリンデルバルトまで2時間,ブリュッセルの食べもの横丁まで4時間,というわけで充分ワインを飲んで泳いで,遊んで,オペラを聞いて,スキーをしてまた仕事にとりかかれます. 

 ラボのテクニシャンの男性には深い感銘をうけました.実験室の規律係としても働いていました.彼は実に小うるさく,整理がわるい,実験の後かたずけが悪い,注文の仕方が悪いなどと,キイキイいって注意にきます.最初は人種差別かなと思っておりましたが,誰にたいしても口やかましい事がわかり安心しました.そのうち彼がゲイであるという事がわかりました. 私は将来人事権を持ったら研究室の規律を守る為に,是非そのての人をテクニシャンに雇いたいなと考えているところです.

 その他,悪態ばかりついているイタリア人ポスドク,いつも朗らかで優しく頭の良いイギリス人ポスドク,世界中の不幸を背負っているような表情をしているドイツ人の女学生,クロアチアのプロのキックボクサー上りでScienceとCellのpaper を持っているポスドク,毎日違う女の子と昼飯を食べるフランス人のDrosophist等たくさん面白い奴がいて楽しいラボライフだったように思います.今でも可愛いテクニシャンのメラニーちゃんから毎日のようにe-mailが来ます.

(3)コンピューター
 私は日本からMac日本語システムのnote型を持っていったんですが,部屋に割りふられた端末の数が決まっていて接続できませんでした.外国にきたんだから日本語はやめて英語をうまくなろうという訳でずっと部屋にあるMacを使っていました.しかし日本人相手に愚痴をこぼしたり,再就職等の相談をする時には,英語のe-mailだとやはり不便を感じます.こっちは感じなくても向こうが感じてあまり手紙をくれなくなります.そしてやはりたまには日本の新聞を読みたくなりますので,一年後からは共通のMacにJapanese language kitを被せて使っていました.

 しかしあのkitを使ってますと,printerに変な事が起こったり,本来英語の所が日本語になったりでしょっちゅう皆に迷惑を掛けておりました.

  結論 理想的には仕事関係はそこのコンピューターを使い,個人用には末端を増設してもらって日本語システムのコンピューターを使うというのが良いやり方でしょう.

(4)宿舎,車
 アパートには家具付き(full furnished)と家具無しの両方があります.滞在が2年程なら絶対家具付きがお勧めです.それ以上なら中古家具屋に行って一つ一つ集めた方が安くつきます.日本人研究者家族の帰国時に入れ換えで行くと最高に幸運です.スイスのバーゼルの場合日本人会のホームページにアクセスしますと,事前に情報が手に入ります.スイスで車を運転する場合ですが,1年以下の滞在の場合は日本の免許でOKです(スイスは国際免許機構にはいってません).それ以上の場合は警察署でスイスの免許証交付を受けなければいけません.車は高いです.私はスバル Justy 1200ccの92年型(走行距離3万キロ)のものを95年に買った訳ですが110万もしました. 売るときは2年半で9万キロ走ったあと(トータルで12万キロ)でも30万で売れました.

(5)根無し草の職探し
 留学する時は日本のどこかに職を持って休職でいけとよく言われる事ですが,それはそれでいいでしょうが,やはりむこうであちらのポスドクと一緒に競争しpermanent positionを奪い取るぐらいの気持ちがないと将来やっていけないでしょう. それに期間限定ですとなかなか大きな仕事は無理です. 私の場合KOマウスの仕事でしたからデータが出始めるまで丁度2年かかりました. 何の仕事でも少なくても2年はかかるでしょうから,じっくりやろうと思うと,なまじ日本からうるさく帰れ帰れといわれるより根無し草の方が気楽です.スイスではヨーロッパ中の情報が集まりますので少なくともポスドクの口はいくつでも見つかります.ただpermanent positionはやはり難しいです.FMI研究所の場合group leaderのポストの空きがあると一般公募します.大体一つのポストに10人程がapplyしますから,シンポジウム形式で審査が行われます.めでたく選ばれるとjunior group leaderになれます.しかしこれはpermanentではなく3,4年後の再審査で無事認められて初めてsenior group leader になれます.わたしの滞在中二人のjunior group leaderが丁度再審査時にあたり,二人とも討ち死にしたのには驚きました.その内一人の最後のセミナーの題は確か "apoptosis of one junior group leader" というもので皆の涙を誘いましたが,実に男らしい最期でした.彼ならきっとどこかで返り咲くのではと期待しています.私はこうして北大に職を得る事ができました.やはりpermanent positionというのは有り難いものです.枕を高くして寝ることができます.でももう少しあそこで(野垂れ死にするまで)頑張るべきではなかったかと自問する自分もまたあります.


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編集幹事:伴戸 久徳 hban@abs.agr.hokudai.ac.jp