Entered: [2000.04.16] Updated: [2000.12.13] E-会報 No. 49(2000年12月)
今年の6月に北大農学部の助手に就任する前の約3年間、イギリスのジョン・イネス・センターの George Coupland博士(花芽形成の光周性制御の分子遺伝学的研究の第一人者)のラボでポスドクをしました。学位を取ったあと日本で職を持たずに海外でポスドクをする人も増えていると思いますので、何らかの参考になれば幸いです。
ジョン・イネス・センターはイングランド東部のノーフォーク県ノーリッジ市にあり、約500人の研究者を抱える世界でも有数の規模の植物の研究所です(ただし13の Department のうち3つは植物ではなく微生物関係)。植物の研究室が多く集まっていることで、同じ研究室内で誰もやったことがないような実験でも研究所内の他の研究室の人に教えてもらえたり、国内外の多くの植物の研究者の訪問を受けるため情報も得やすくセミナーも数多く催されるなどの利点があり、植物の研究をするには非常に良い環境であると言えるでしょう。私のいたMolecular Genetics Department は7つの研究室で構成されていましたが、実験室は1フロアがぶち抜きになっていて研究室間のしきりが無く、 他のグループとも交流しやすくなっていました。シロイヌナズナを材料にしているグループが多く、また7つのうち4つのグループが花芽形成に関連した研究をしていて、情報交換、材料交換を簡単にすることができ、大きな利点でした。情報と言えば、ヨーロッパの中での花芽形成の研究者のコミュニティーも作られていて、研究報告会やグループリーダー会議などで情報交換が行われていました。他のラボの最新の結果を知ることができるだけなく、時には研究費申請のためのプロポーザルなどで他のラボがこれからやろうとしていることが分かることもあります。そういった様子を見ていると、花芽形成のような研究者人口の多い競争の厳しい分野で、ヨーロッパのコミュニティー、アメリカのコミュニティーの外でやっていく場合のハンデキャップを改めて感じました。
研究所のあるノーリッジ市は人口20万人くらいの町で、特徴というと教会が多いことくらい(地元のガイドによると世界一多いという話で、たしかに市の中心にはうじゃうじゃある。)ですが、郊外に行くと典型的なイギリスの田舎の風景を楽しむことができます。滞在中には何回か住居を変えましたが、その中で一番印象深いのがボウブラという郊外の村に住んだことです。戸数40戸くらいで、村のなかでお金を使う場所は村に一件のパブだけという小さな村でしたが、「良く保存されている村」として表彰されたこともある美しい村で、村のまん中には白鳥や鴨のいる綺麗な川が流れていました。また、赤煉瓦の古い農家の家やコテージと呼ばれるイギリスの田舎特有の古い家など風情のある家が多く、どの家も蔓系の花やハンギングバスケットなどで綺麗に飾られていました。私達夫婦の住んでいた家の屋号は “By The Stream” で(住所がこれで始まるので、よくイギリス人から「テント張って住んでるのか?」と言ってからかわれた。)、家のそばを小川が流れ、その向こうは牧場で、牛やアヒルに囲まれたのどかな生活でした。村の人達もフレンドリーで、車で買い物に連れていってもらったり、月に一度村のホールで開かれるお茶の会に参加させてもらったりしました。村の人のうち半分くらいは代々村に住んでいる人達で、残りの半分は好んで移ってきた人達
だそうです。イギリスはお金持ちほど田舎に住みたがるそうで、後者は会社経営者などのお金持ちが多いようでした。隣の家のおじさんも、いつも上半身裸で庭いじりばかりしている人でしたが、ケンブリッジ出の弁護士だと聞いてびっくりしました。私はイギリス以外に海外で研究をした経験は無いので、他の国と比較することはできませんが、どこでポスドクしようか迷っている人の参考になるかもしれないので、ここで少しイギリスの研究生活の特徴について書いてみます。よく言われることですが、イギリスは全体的にのんびりした国で、研究室も例外では無く、毎日午前と午後に20分から30分くらいティータイムをとって雑談していますし、イギリス人の学生やポスドクはたいてい5時か6時に帰ってしまいます。ただし、グループリーダーはさすがにいつも忙しそうにしていましたし、外国から来ているポスドクはよく働いていました。また、紳士の国だけあってグループリーダーも温和な人が多かったように思います。George Coupland もとても温厚な人で、グループミーティングの研究報告で学生がマヌケな失敗を平気な顔で話していても、ニコニコして聞いていました。しかし、そのかわり、一人一人時間割を決めて、しっかりディスカッションの時間を作っていました。それから、これはグループリーダーの立場によるかもしれませんが、論文を数多く出すよりは、多くの関連したデータを合わせてじっくり良い論文に仕上げようとする傾向があるようです。したがって、ポスドク中にファーストオーサーの論文をガンガン出したいと思って来た人は当てがはずれるかもしれません。しかし、これは自分の関わった仕事がじっくり質の高い論文に仕上げてもらえるということでもあります。同じ department のイギリス人ポスドクの一人は、一時期、ティータイムのたびに、そのことについて愚痴を言っていました。というのも、彼のプロジェクトは元々かなりの長期計画で、途中の段階で論文にまとめようと思えばまとめられたのですが、彼のボスはそうしたがりませんでした。当時、ポスドクの契約期間が残り少なくなり、奥さんと子どもを抱えて次の職を探していた彼としては、少しでも多く業績が欲しかったので、そのことに対して強い不満を抱いていたわけです。
ポスドクという立場は、自分の研究だけに専念できるという良い面もありますが、契約期間が残り少なくなってきて次のポジションがまだ決まっていないときというのは、やはり辛いものです。私の場合、最初の1年半は学術振興会特別研究員PD の半分の期間を利用して渡航したのですが、向こうの生活に慣れてきた頃にはその期間も終わりに近づいていました。しかし、面白い研究成果も得られていたので、どうしても続けたくてボスに相談したところ、向こうのグラントで6ヶ月雇ってもらえることになりました。その契約も終わりに近づいた頃に再びボスに頼んで、今度は2年契約で雇ってもらえることになりました。そのように滞在中は短い契約をつないでいたので、すぐにまた次のことを考えなければならず、気分的に落ち着きませんでしたが、その分いつも後が無いというハングリーな気持ちで研究でき、そのことはとても貴重な経験になったと思います。
最後になりましたが、学振PD の期間に留学を勧めてくださった町田泰則先生、研究の機会を与えてくださった George Coupland 先生、滞在中支えてくれた妻に感謝します。