ショウジョウバエの生殖細胞形成機構
小林 悟
筑波大学 生物科学系 遺伝子実験センター
生物の最も根源的な性質である生殖を担う生殖細胞は、多細胞生物の進化の過程でま
ず必要となった細胞であり、多くの多細胞生物に共通の機構により生殖細胞が形成さ
れると考えられてきた。私は、この生殖細胞が形成される機構を分子レベルで明らか
にすることを目的とし、ショウジョウバエを材料として、研究を行ってきた。ショウ
ジョウバエの生殖細胞は、卵の後端部に形成される極細胞と呼ばれる細胞に由来する
ことが明らかとなっている。極細胞は、将来卵巣や精巣を作る生殖巣と呼ばれる器官
へと卵の中を移動し、その生殖巣中で卵や精子である生殖細胞に分化する。これらの
過程を制御する分子は、卵の後端の極細胞質(生殖質)中に局在していることがすで
に明らかとなっていた。そこで、生殖細胞の形成に関わる分子を同定し、その機能を
解析することにより生殖細胞形成機構を明らかにすることを試みてきた。現在までに
、以下の諸点が明らかとなった。
極細胞の形成
私達は、極細胞形成に関わる分子の一つとしてミトコンドリアのリボソームの大サブ
ユニットを構成する RNA (mtlrRNA)を同定した。ミトコンドリア内で転写されたmtlr
RNAは、極細胞質中でのみミトコンドリアから極顆粒(極細胞質に特異的に観察され
る構造物であり、この構造物上に極細胞形成に関わる分子が局在すると考えられてき
た)に移送され、極細胞形成に関与した後に分解される。さらに、mtlrRNAだけでな
く、ミトコンドリアのリボソームの小サブユニットを構成する RNA (mtsrRNA) も極
細胞質中で極顆粒に移送されていることを明らかにした。最近、この2種類のrRNAが
、ミトコンドリア外でもミトコンドリア・タイプのリボソームを形成していることを
示唆する結果を得た。このことから、極細胞形成に必須なタンパク質をコードするmR
NAが極顆粒中に局在しており、極細胞形成に先立ち極顆粒の周囲に形成されるミトコ
ンドリアリボソームにより翻訳されると考えている。
極細胞から生殖細胞への分化
正常な発生過程において、形成された極細胞は、生殖巣へと移動し、生殖巣中で卵や
精子である生殖細胞に分化する。この極細胞分化過程に関わる因子の1つとしてナノ
ス (Nanos)と呼ばれるタンパク質を同定した。ナノスは、極細胞質に局在し、極細
胞に取り込まれるという挙動を示す。Nanosを欠く極細胞は、生殖巣へと移動できな
い。このため、この極細胞は最終的に生殖細胞にまで分化することはない。最近、ナ
ノスと同様に、プミリオ (Pumilio) と呼ばれるタンパク質も極細胞の移動過程にか
かわっていることが明らかとなった。プミリオは、ナノスと協同して、特定のmRNAの
翻訳を抑制する働きを持つことが知られている。このことから、両タンパク質は、極
細胞中で特定のmRNAの翻訳抑制を行うことにより極細胞の移動過程の制御を行ってい
ると考えている。この制御機構に関し考察する。特に、ナノスの注目すべき機能とし
て、体細胞の分化に関わる遺伝子の発現を極細胞中で抑制することが挙げられる。こ
の機能によりナノスは、極細胞が体細胞に分化することを抑制し、極細胞を生殖細胞
に分化させると考えられる。すなわち、生殖細胞と体細胞の違いを作り出す重要な働
きをナノスが担っていることを物語っている。
生殖細胞形成機構の普遍性
無脊椎動物のショウジョウバエとは系統的に遠い関係にある脊椎動物のカエルの卵に
おいても、ショウジョウバエと同様に生殖質が卵の一部に局在している。この生殖質
中には、極顆粒と非常に良く似た生殖顆粒が存在する。生殖顆粒上には、mtlrRNAお
よびナノスとよく似たタンパク質をコードするmRNAが局在することが知られている。
このことは、これらの分子が、ショウジョウバエだけでなく他の多くの動物群におい
ても生殖細胞形成に関与していることを示唆している。
参考文献
S. Kobayashi, R. Amikura and M. Okada (1993) Science, 260, 1521-1524.
S. Kobayashi, M. Yamada, M. Asaoka and T. Kitamura (1996) Nature
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M. Asaoka, M. Yamada, K. Hanyu, A. Nakamura and S. Kobayashi
(1999) Nature
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