退任教授・役職者

退任挨拶

札幌医科大学 名誉教授 堤 裕幸

 私は、2001年9月1日に札幌医科大学小児科学講座講師から教授に昇進しました。2018年年3月末で16年7か月の在任となりました。私が小児科を志したのは、臓器別の診療科ではなく全身を診る科に進みたいということがありました。私が卒業した1978年当時、第一内科と小児科がそのような体制でしたが、感染症、免疫の両方に関わりたいということから、故中尾亨教授が主宰する小児科学講座に入局しました。大学院では千葉靖男先生の指導のもと、ムンプスにおける細胞障害性T細胞の存在と、HLA拘束性についての研究を行いました。その後、米国のバッファロー小児病院にポスドクとして留学する機会を得、HSVの細胞性免疫の研究を行いましたが、上手くいかず、研究というのはそうそう上手くいくものではない、ということを思い知らされた2年余りでした。それでも何とか抗RSウイルス単クローン抗体を作成し、それを土産に平成元年に大学に戻りました。。帰国後はその単クローン抗体を用いてRSウイルスの抗原構造の解析や疫学研究を行いました。平成13年9月に教授職に就かせていただきました。

 “診療は全道へ、研究は世界へ”をスローガンに掲げ船出しました。それがどの程度達成できたかは甚だ疑問であります。何と言っても苦労したのはマンパワーの確保でした。特に就任3年目で導入された初期臨床研修制度により2年間入局者がゼロとなり、その影響が数年に亘り及びました。関連病院の集約を図るため複数の病院から引き上げざるを得なかったのもこの辺りであります。マンパワーの確保は、関連病院の維持は当然として、研究に振り分ける人材、そして国内・国外留学に出向き更に飛躍したいという者のためにも必要なことでした。

 臨床面では小児科の中での細分化・専門化が更に進みました。当科には、以前より児童精神の分野がありましたが、時代の要求に応え、道内他大学に先駆けて平成19年に「児童思春期 こころと発達外来」をスタートさせました。その他の分野では、血液腫瘍患児の入院が増え、病棟の半数近くになり、多くの造血幹細胞移植を実施しました。その他、小児神経、リウマチ、内分泌代謝、腎臓の専門医を揃えることができました。遺伝については、学科目として遺伝医学が新設されたことに伴い、小児科医のスタッフを配することができ、専門性を増しつつ良い連携を保てています。NICUについては大学病院に新設されたのは平成17年と遅れたのですが、今年(平成30年)7月、新棟6階にNICU:12床、GCU:12床と倍増しての開設を予定しております。産科周産期科と一緒になって道内一のNICUを目指していただきたいです。今後も、小児の臨床については、先ず、大学と道内唯一の小児病院であるコドモックルが十分な協調体制を築き、道内の関連病院を牽引しつつ発展していく必要があります。

 研究ですが、当教室のメインテーマであるウイルス感染症については、RSウイルス、ロタウイルス、パルボウイルスB19、HHV-6などについて研究を継続できました。また基礎の教室との共同研究も積極的に進めました。病理学第二、微生物学、衛生学、公衆衛生学講座等にお世話になりました。一方、臨床の細分化・専門化が進むに連れ、研究もそれぞれの分野で行うこととなり、ウイルス研究以外の基礎が当教室には不十分であることから、基礎の教室に出向いて教えを請うことが多くなりました。血液腫瘍グループが病態情報学部門で行ったGVHDのバイオマーカーであるケモカインCCL8の同定、神経筋グループ・新生児グループが神経再生医療部門で行った難治性てんかんや低酸素性虚血性脳症に対する間葉系幹細胞による治療の試み、神経筋グループが薬理学講座と共同で行った筋ジストロフィー患者への抗酸化剤レスベラトロールの臨床試験などです。これからもどんどん進めていただきたいと思います。

 教室内は和気藹々とした雰囲気でありましたが、今一つ厳しさが足りなかったように思います。これは私の甘さに原因があります。他の教室との競争だけでなく、教室内でも競争意識を持って切磋琢磨していただきたいと思います。それでも私の在任中41名が学位を取得できました。多くは他の教室のご指導の賜物であります。この場を借りて改めてお礼申し上げます。今、振り返って思うのは“少年老い易く学成り難し”という漢詩の一節です。37歳で大学に戻り、29年勤めました。自らのことを漢詩の一節になぞらえるのもおこがましいですが、頑張った積りでも後から振り返ってみると、年だけ取って大したことはしてこなかったというのが実感です。若い面々には力の出し惜しみをせず、目一杯頑張ってほしいと思います。結果はともかくそれが自信となり、よい思い出となり未来への一歩に繋がります。札幌医科大学の益々の発展を陰ながら応援しております。