沿 革


 化学教室は昭和33(1958)年4月に医学部医学進学課程開設と同時に、三成脩助教授と工藤雅助手の2名で発足した。研究室は開設時の旧校舎内に個室、研究室、学生実験室でスタートした。昭和37年に旧校舎増改築に伴い、更に研究室を加えた。昭和38年(1963)2月に初代坂上利夫教授(平成9年物故)が就任され、昭和43年(1968)9月までの5年間、化学教室の創成に寄与された。坂上教授は生化学第2講座に転出されるまでの間、化学教育と生化学研究に多大な貢献をなされた。特に研究面では、リン脂質を中心とする脂質の代謝と関連病態の研究によって国内の脂質研究をリードされた。その間に、昭和38年3月工藤助手が退職し、同年4月に永沢(旧姓坪野)浩子助手が奉職して3名の教室員となった。昭和40年3月に永沢助手が退職、同年4月に谷口(旧姓秋山)正子助手が奉職した。
 昭和43年に坂上教授と谷口助手が生化学第二講座に転出され、同年12月に化学教室は新校舎(現東B棟)へ移転した。昭和44年(1969)2月に二代目三成脩教授が就任され、同年4月に横山彰助教授、同年4月に土橋桂子助手が相次いで奉職した。同年7月〜12月の間に、大学紛争のために校舎は封鎖され、生化学第一講座の一室を借用して研究を続けた。三成教授は、化学教室開設から平成4年(1992)3月までのご退職まで34年間の長きにわたり、化学教室を支え、また学科目の運営や入試関連業務に参加してこられた。特に、医学部における化学教育に厳格な教育理念を導入され、その間昭和48年4月に能野秀典助手が奉職して4名の教室員となった。昭和50年1月横山助教授が生化学第二講座へ転出し、同年4月に能野助手が講師に昇任、谷内田洋一助手が奉職して、再び4名の教室員となった。研究用の機器も次第に充実し、更に低温室が付置された。昭和59年1月に土橋助手が講師に、同年7月に能野講師が助教授にそれぞれ昇任し、教育と研究を支えた。
 平成4年(1992)3月に三成教授がご退職され、同年7月に三代目教授として賀佐伸省教授が当教室を主宰し、現在に至る。研究室は新築された基礎医学研究棟8階に平成11年5月移転した。新研究室では試薬室と培養室を新たに付置した。
 現在に至るまでの研究補助員として、石山(旧姓大場)美子(昭和34年4月〜41年4月)、佐藤弘子(昭和41年5月〜43年8月)、梅田(旧姓後藤)敦子(昭和43年9月〜昭和49年3月)、福田律子(昭和49年4月〜昭和51年2月)、舟田(旧姓小野)真弓(昭和51年3月〜昭和53年3月)、野坂(旧姓小野)真理子(昭和53年4月〜昭和54年3月)、石田(旧姓中田)香代子(昭和54年4月〜昭和56年4月)、河上(旧姓岩水)浩子(昭和56年5月〜平成2年12月)、工藤左幸(平成3年1月〜現在)の諸嬢が勤務した。

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