教室の沿革

初代教授 大野公吉

昭和25年(1950)、札幌医科大学の創立とともに生化学教室が開設され、昭和43年(1968)に生化学第二講座の新設に伴い、名称を生化学第一講座と変更した。初代大野公吉教授が開学以来昭和57年(1982)3月までの32年間、本講座を主宰し、発展に務めてきた。昭和25年4月生化学教室発足時のスタッフは坂上利夫助教授と徳嶋俊男、吉原萬平、三成脩、下條貞の4助手であった。初めは木造新築されたばかりの生理学教室の部屋を間借りしていたが、昭和26年12月末に旧校舎(西棟と北棟1階)が完成し、本格的な研究がスタートした。大野教授の主な研究テーマは動物組織におけるリン脂質代謝で、クロマトグラフ法によるリン脂質の純粋分離、同定と定量、および、放射性同位元素をトレーサーとしてリン脂質の代謝動態を解析することにより、最先端の研究が行なわれた。大野教授の在任中、助手として続木、佐久間、中畑、横山、篠田、上田(旧姓堀川)、山田(旧姓伊藤)、形浦(旧姓池田)、折居、山口、佐々木(旧姓長谷川)、秋野、松薗、松本(旧姓松田)、坂本、加納、阿部が活躍した。研究生としては、青木、山崎、柳本、加藤、笠間、只野、染川、小尾、折居、平間、岡崎、水本、熊谷、坂本、小池、落合、佐藤(喜三)、太田、山崎(功)、戸嶋、守谷、岡野、河本、中村、小野寺、遠藤、桜田、嵯峨が参加した。大学院生としては形浦、安井、野間、秋野、佐藤(亮蔵)、幸治、山田、鈴木、岡部、加納、佐々木(輝捷)、佐藤(忠弘)が参加した。昭和33年三成助手が新設された進学課程化学教室の助教授として転出し、ついで、坂上助教授が昭和38年に化学教室教授として転出した。坂上は昭和43年新設された生化学第二講座(現・分子生物学講座)の初代教授となり、昭和44年三成が化学の教授になった。下条は昭和32年講師に、そして、昭和38年助教授となり、大野教授の在任32年間終始教授の片腕として教室の発展に寄与した。横山は昭和34年講師となり、昭和44年化学教室助教授として転出後、昭和50年生化学第二講座の助教授となった。秋野は、昭和44年講師、昭和50年助教授となり、教室のメインテーマの一つとなった肺サーファクタントリン脂質研究の柱として大野教授退任まで教室の研究をリードし、第二代教授に就任した。上記に加えて大野教授時代に生化学第一講座に在籍した6名が他教室の教授となり活躍している。折居が岐阜大学医学部小児科学講座、形浦が本学耳鼻咽喉科学講座、野間が岐阜大学医学部臨床検査医学講座、加納が本学生化学第二講座、岡部が熊本大学医学部臨床検査医学講座、佐々木(輝捷)が本学がん研究所生化学部門の教授となった。

第二代教授 秋野豊明

第二代教授として昭和57年(1982)に秋野豊明が就任した。秋野教授就任時の教室員は下条貞助教授、佐々木洋子講師、佐藤忠弘大学院生であった。翌年に深田吉孝助手、長田洋子助手、黒木由夫助手と佐藤秀紀研究生が新たに参加し、リン脂質研究に加えて、視覚の分子機構、老化とD-アミノ酸、および、サーファクタントアポ蛋白の研究が始まった。リン脂質に関する研究には、佐藤忠弘、林秀紀、伊藤喜代春、長尾正人、本田泰人、足立英明、佐藤秀紀、四十九院正道、菊池尚子が、また、脂質メディエーターと細胞情報伝達に関する研究には佐々木洋子、山本弘、渡辺広史が参加した。視覚の分子機構に関する研究には、深田吉孝、大黒浩、斉藤哲哉が参加した。昭和61年深田が京都大学へ転出した後は、GTP結合蛋白質の研究は相馬仁が脳材料を用いて行い、橋本英樹が参加した。相馬はその後アネキシンの研究に入り、菅原清美が研究助手として加わった。老化とD-アミノ酸に関する研究は長田洋子、下条貞が行い、北村公一は蛋白質D-アミノ酸残基修復酵素の研究を行った。サーファクタントアポ蛋白の研究には、小野寺次民、黒木由夫、高橋弘毅、水本雅彦、足立英明、本田泰人、蔦原紳、上嶋廉秀、宮村和夫、白鳥正典、片岡賢治、清水浩、村田芳久、続木章博、渡辺智之、相馬仁、平池則雄、小笠原由法、服部晶子、経澤弥、呉、本間敏男、帆保誠二、佐野仁美、斉藤正樹、千葉弘文が参加した。また、ダニ抗原構造の研究を大鹿栄樹と黒木由夫が行った。この間、深田吉孝は東京大学大学院理学研究科教授に就任した。秋野豊明は平成10年(1998)に本学学長に就任、生化学第一講座教授を退任し、同年黒木由夫が第三代教授に就任した。

第三代教授 黒木由夫

第三代教授として平成10年(1998)に黒木由夫が就任した。黒木教授就任時の教室員は、相馬仁講師、佐野仁美助手と斉藤正樹助手であった。その後、千葉弘文、岩城大輔、金子家明が助手として参加した。千葉が米国留学した後は村上聖司が助手として、また、研究生として光澤博昭、森本みきと高橋亨が加わり、岩城、金子とともにコレクチン関与生体防御の分子機構の研究を行った。相馬講師は、保健医療学部大学院生の大川浩子とともにアネキシンの構造と機能に関する研究を行った。相馬はその後、医療人育成センター・教育開発研究部門教授に就任した。平成11年(1999)5月新築された基礎医学研究棟へ研究室が移転し、その後平成20年に生化学第一講座から現在の医化学講座に名称が変更された。上記のほか、博士課程の大学院生として前田忠郎、酒井理恵、黒沼幸治、百島尚樹、大野敬、黒沼睦美、山田ちえ子、高橋円、竹山康、山添雅己、澤田格、三上智子、栗村雄一郎、齋藤充史、宮下博樹、長谷川喜弘、上原康昭、橋本次朗が、MD-PhDプログラムの学生として植村樹が、研究生として小西正訓、佐藤守仁、聶小蒙が、医科学修士課程の大学院生として荒木素子が加わった。またスタッフとしては佐野仁美、高橋素子が准教授、清水健之が講師として加わったほか、高橋亨、工藤和実、光澤博昭、西谷千明、有木茂、長谷川喜弘、高宮里奈、齋藤充史が助教として参加した。有木はその後講師、そして医療人育成センター・教養教育研究部門(化学)の准教授及び医化学講座の兼任准教授となった。教室の中心テーマは自然免疫の分子機構で、肺サーファクタントタンパク質SP-A、SP-Dの生体防御機構についての研究を推進した。炎症防御機構についてパターン認識受容体のCD14やToll様受容体との相互作用による新たな機構を発見し、その過程でToll-like receptorの構造と機能についての研究を展開した。臨床的研究としては特発性肺線維症の一部に存在する自己抗体の抗原の同定に成功し、抗菌ペプチドの炎症制御機構を見出した。黒木由夫は平成26年(2016)に医化学講座教授を退任し、平成27年(2017)高橋素子が第四代教授に就任した。