Entered: [1997.08.12] Updated: [1997.08.13] E-会報 No. 39(1997年 8月)
海外レポート =留学体験記=

米国テキサス州ヒューストン留学記
岩手大学 農学部 獣医学科
森松正美


 今から2年ほど前になるが,私は北大獣医の助手として留学先をさがしていた.その時,アメリカ合衆国テキサス州ヒューストンにあるテキサス大学MD Anderson癌センター(以下MD Anderson)について,ここでポスドクをしている三品裕司先生が書かれた記事が私の目にとまった(実験医学Vol. 13,112ページ(1995年8月号).そこにはMD Andersonの理想的な研究環境が紹介されていた.実際に三品先生自身が,日本の国立大学助手の身分を捨ててそこでのポスドクの道を選んだのだという.その様な環境を自分も体験してみたい.そんな想いがきっかけとなって私はMD Andersonに留学することになった.

 ヒューストンには,ES細胞操作技術の第一人者であるAllan Bradley(Baylor医科大学)を中心に,ジーンターゲッティングやノックアウトマウスを行っている研究者が多数集まっている.MD Andersonで哺乳動物の遺伝子組換え機構を研究しているPaul Hastyがポスドクを探していることを三品先生から聞いた.私は,ハプトグロビンというタンパク質を研究してきた中で遺伝子の重複による分子進化,そしてその原動力として最も重要な組換え機構に非常に興味を持っていたので,Paulと研究することに決心した.まもなくPaulはLexicon Genetics (以下Lexicon)というヒューストン郊外の会社の研究所に移ったが,幸い私は三品先生のボスであるRichard Behringerのラボに身を寄せさせてもらい,おかげで問題なくPaulとの共同研究を行うことができた.

 ヒューストン周辺

 あまりよく知られていないことだが,ヒューストンは全米第4位の都会である.その町並みは,札幌をさらに広くゆったりとさせたような感じである.徹底的な車社会でダウンタウンにも歩道はほとんど見あたらない.気候は亜熱帯で一年のほとんどが夏のようであり薄着で間に合うため衣料費が安くてすむ.ちなみにPaulは,一年中Gibcoかどこかの会社から景品でもらったTシャツのようなものを着てジーンズをはいていた.少しの間だけ冬が来て寒くなるが,その時には彼の靴が普段のナイキからウエスタンブーツにかわるだけで他は何もかわらなかった.テキサスというと砂漠とサボテンのようなイメージがあるかも知れないがヒューストンとその周辺は雨が多く針葉樹がうっそうとしていてシカなどの野生動物がたくさんすんでいる.車にひかれたかわいそうなアルマジロを私は,しばしば見かけた.治安は他の大都市と比べるとそれほど悪くはないようだ.私の住んでいた郊外の住宅地では,夜でも女性や子どもがひとりで歩いていた.人種差別の問題についてはほとんど感じたことがなかった.テキサスはメキシコと合衆国との国境に位置するためかヒスパニック系の住民が多い.また,中国人を始めとする東洋人も非常に多い.人種差別などしている余裕は無いのかも知れない.

 MD Andersonは,世界最大ともいわれる巨大医療基地であるテキサスメディカルセンター(TMC)にあってその中核をなす病院・研究施設である.私の居たMolecular GeneticsのDepartmentだけでも10以上のラボがあってどこも非常に水準の高い研究を行っていた.MD Anderson全体では100以上のラボがあるようだ.TMC全体だといったいいくつのラボがあるのか予想もつかない.なお,TMCやMD Anderson,そしてRichard Behringerのラボのことについては上記の三品先生の書かれた優れたレポートがあるのでそちらを参照していただき,私は,Paulとの共同研究のために出入りするしたLexicon Geneticsのことに触れさせていただくことにしたい.

 Lexicon Genetics社

 Lexiconについて書く前に,まずAllanのことにふれなければならない.Allanは,1984年に胚に注入したES細胞は生殖細胞にも分化し,その子孫からES細胞由来の遺伝的背景を持つキメラマウスが得られることを報告した張本人であり,今日のノックアウトマウス作製への重要な道を開いた人である.この論文を発表したときに彼はまだケンブリッジ大学の学生で,当時24歳だったという.その後,彼はアメリカに渡り,29歳の時にはBaylor医科大学で自分のラボをかまえ,数々の優れた業績をあげながら発生や癌の領域を中心に研究を展開してきた.

 Lexiconは,今から2年前の1995年に,Allanがこれまで積み重ねてきた技術を事業へと発展させるため,Allanと当時彼のラボでポスドクをしていたArthur Sandsにより設立された.会社設立の資金は,Gordon Cainという石油で身をなした実業家の投資により支えられたようだが,現在では,製薬会社の出資や製品の販売などにより収益をあげながら順調に会社の規模を拡大している.

 Lexiconという単語は,辞書の意である.Lexiconでは,ベクターをマウスゲノムにランダムに挿入して片っ端から変異を導入する,いわゆるノックアウトライブラリーを作ろうとしている.このノックアウトライブラリーに彼らは,OmniBankという名前を付けた.5年計画で50万個のミュータントを変異を導入した遺伝子の塩基配列の情報と合わせて構築する計画らしい.マウスの遺伝子が約10万個と予想されていることから,この50万個というミュータントの数は,すべての遺伝子をノックアウトするのに十分な数といえるようだ.ヒトゲノムプロジェクトが進行することにより,約10万個といわれる遺伝子の配列レベルでの情報の蓄積が進んでいるが,機能が明らかになっているものはそのうちのほんのわずかにすぎない.生命科学,特に医科分子生物学の次の標的は機能解析を主体とした遺伝学(Functional Genetics)だといわれるようになってきている現在,設立当初からFunctional Geneticsを目標として歩んできたLexiconに寄せられる期待は大きい.

 Paulとの共同研究

 さて,Allanが自分のラボを持って一番最初のポスドクがPaul Hastyである.当時,アメリカ式の徹底した臨床重点の獣医学教育を受けてD.V.M.(獣医師の資格)を取ったばかりのPaulは,相当な苦労をしながらES細胞操作技術を習得し,今日のようなGene Targetingの第一人者となったようだ.点変異のような微小変異を効率よく導入するヒット・アンド・ラン法の開発や,Myogenin変異マウスの作製と解析などで優れた業績をあげ,MD Andersonにラボを構えてここで4年ほど研究した後,Lexicon Gene ticsにGene Targeting部門のDirectorとして招かれた.現在,彼はRad51やKu80を中心に哺乳動物の遺伝子組換え機構について研究を展開している.

 私はMD Andersonに留学してRad51のプロジェクトに加わることになった.RAD51は放射線に感受性が高い酵母株で同定された遺伝子で大腸菌のRecAと高い相同性を示し,真核生物遺伝子の組換え・修復反応に重要な役割を担っている.そこで私たちは,真核生物の遺伝子組換え・修復反応が複数の分子からなる大きな複合体を介して起こるとの考えをもとに,Rad51と会合する分子を検索したところ,そのひとつが遺伝性乳癌原因遺伝子のとして最近同定されたBRCA2の産物であることを発見した.BRCA2はポジショナルクローニングによって取られた遺伝子でその機能はほとんど分かっていなかったので,もし,その産物がRad51と会合して遺伝子組換え・修復反応に関与していることを示すことができれば,それはかなりのインパクトを持った研究になる.Paulを中心とした我々のグループは,Rad51とBrca2との会合の解析,そしてBRCA2変異マウスの作製とその解析の実験を急いだ.しかし,私たちが変異マウスの作製に着手してまもなく,これと独立にAllanのラボでもBRCA2のノックアウトを始めたとの情報が私たちの耳に入り,AllanとPaulとの師弟間での緊張感が高まるという事態になった.また,しばらくして世界中で少なくとも9つのラボがBRCA2のノックアウトを行っているという話や,あるグループはすでにBRCA2ノックアウトマウスの論文をCellに投稿したという話が耳に入ってきた.さらには私たちの研究とはまったく独立にHarvard大学のグループが,なんともう一つの乳癌原因遺伝子産物Brca1がRad51と会合することを発見し,今年の第2号のCellのに発表してその表紙を飾った.そこでこれをひとつのきっかけとして,我々のPaulのグループとAllanのグループが手を組んでひとつの論文をまとめ,Brca2のRad51との会合とこれを介したDNA損傷修復についてNatureに投稿した.投稿してからも他のグループに先を越されるのではないかと心配していたが,幸い我々の論文がアクセプトされて4月に掲載される運びとなった.私は帰国後,北大から岩手大学農学部獣医学科に移ったが,Paulとの共同研究は現在も継続中である.

 日本はすでに経済大国となり,科学のレベルも世界一流となった現在は海外留学などする必要がないとする意見も聞くが,日本がアメリカやイギリスなどの諸外国のレベルに完全に追いついたとは私には思えない.残念ながら何がいちばん大きな問題点なのかは私にも分からないが,技官や事務官などの人的資源に対する投資の量と質や,国際社会で互角に議論するための語学力に大きな差があることは,自分自身の反省も含め問題点として感じている.


<カット>川野 裕美

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