Entered: [1997.08.12] Updated: [1997.08.13] E-会報 No. 39(1997年 8月)
海外レポート =学会見聞録=

これからの研究雑感
岡崎国立共同研究機構 基礎生物学研究所 形態形成部門
上野直人


 慌ただしく北大薬学部を去って基礎生物学研究所に着任したのもつかの間の米国出張となった.名古屋空港からポートランドへと向かう飛行機は北海道をかすめるように航路をとる.機中では4年間の札幌での生活を振り返りながら,また同時に新しい研究生活への思いを馳せた.今回の米国出張の目的はひとつ,我々の将来の研究の方向を見据えるためであった.ニューヨーク州ロングアイランドにあるコールドスプリングハーバー研究所はニューヨークという大都会の喧騒からは隔絶された閑静な場所にある.小さな湾に面して研究所の建物が散在していることからこの名がついた.この研究所で毎年数回の大きなミーティングが開かれる.今回はとくに我々の主要な研究テーマである「発生におけるパターン形成」(Pattern formation during development)というテーマで開かれ,この分野の超一流の研究者が集まることを知り,日程が重なるために日本発生生物学会を欠席することに後ろめたさを感じながらも渡米することとなった.最近,いわゆる大物といわれる研究者は一般のシンポジウムではポスドクや大学院生を代理にたてて発表させることも多いが,今回の招待講演者はこのミーティングに焦点をあて,直前の関連する学会で最新のデータを公表することも差し控え,本人が発表に臨んでいるとの噂も耳にした.いずれにしても野球で言えばオ―ルスター戦に匹敵する陣容と意気込みである.

 今回の目的のなかに「将来何をすべきではないか」を見極めに行くことが含まれていた.現在のこの分野の研究の流れを見ていると,多くの人が同じ方向を向いており研究分野の行く末が見て取れるようであったからである.いまパターン形成を制御する因子として脚光を浴びているヘッジホッグ,BMP,FGF,ウイングレスはほとんどの発表に登場し,そのシグナル伝達に関わる分子との関係が調べられている.肢芽の形成,神経系のパターン形成,器官形成など多くの局面で同じ分子が重要な機能を担っていることを考えるとそれもいたしかたないのかも知れない.ミーティングを終わってみるとやはり既知の,しかも限られた因子でさまざまな現象の分子メカニズムを説明しようとする傾向に対しての違和感のみが残った.まるで野球は各チーム9人の選手がプレーをするのであるにも関わらず,ある特定の選手にしか注目していないかのようである.科学の面白味のひとつは仮説を立ててそれを証明しようとすることではないかと思う.神様は思ったほど単純に我々生物をつくっていないことを思い知らされるかもしれないが,それも科学の面白味のひとつであろう.その仮説も限られた分子の組み合わせだけでは面白味も半減するというものである.それぞれの発表における研究はどれをとっても期待どおりかなり洗練されたもので,米国やヨーロッパにおける研究レベルの高さを見せつけられた気がする一方,現在の研究の流れに対して抵抗を試みたくなった.我々の研究室はどのような研究を目指して行くべきだろうか.研究はチームプレイであることを前提としながらも,その上にはリーダーの極めて個人的な哲学が存在すべきである.月並みではあるかも知れないがひとつの標語を思いついた."New concept, or new molecule", すなわち新しい概念を生むような研究をすること,さもなくばせめて新しい分子をみつけオリジナリティーのある研究をしようとの思いである.さてこうして文章にして書いてしまったからには,それに見合う研究をしなければならない.

 さて,コールドスプリングハーバー研究所でのミーティングの前にボストンのとあるベンチャー企業を訪れた.発生学をバックグラウンドとして新規物質をスクリーニングし医薬品を開発することををねらった会社である.薬学部にいた私にとってもこのコンセプトは共通するものであり,以前からこの会社の存在に興味を持っていたからである.この会社は最近,大手の製薬会社,個人投資家からの資金を得て急成長しており,設立当初わずか20名の社員の会社が来年には50人に,2,3年後には100人の会社になろうとしている.あるひとりの研究者の発想が医薬品開発の大きな流れをつくろうとしているのである.また,実際に医薬としての実用化の可能性が未知数のものやアイデアそのものに対して投資をしようとする会社あるいは個人がいることにアメリカ社会の奥深さを感じる.また,社員は会社の成功のために身を捧げているというエネルギーを感じる.もちろんその会社は最終的に医薬の開発を目的としているのであるが,研究内容は限りなく基礎研究に近い.会社はボストン近隣の他のベンチャ―企業との共同研究を推進するばかりでなく,世界のトップレベルの研究者をアドバイザーとして擁し最新技術の導入を図っている.脅威に感じたのは彼らの研究で得られた情報は基礎研究においても最先端のものでありながら,外部へは公表されず当然会社の機密として守られることである.つまり,最新の情報はアメリカのベンチャー企業およびそれに関わる一部の研究者が握るという構図ができつつあるようで,そのことに大きな危惧を感じるのである.この中でゲノムプロジェクトは非常に大きな位置を占めている.ゲノム情報から機能解析へと直結する研究(functional genomics)がベンチャー企業を中心に行われているからである.つまり遺伝子機能の網羅的なスクリーニングによって,生命現象を司る多くの分子はそう遠くない将来,すべて明らかにされてしまうのではないだろうか.そしてそれを日本の研究者が知るのは特許が申請されたしばらくあとということも十分に起こり得る.日本では科学技術基本計画をはじめとして基礎研究の推進が叫ばれている一方で,新しい産業基盤の創造も求められている.米国ではベンチャー企業という不安定な存在ながらも,その夢に投資をするシステムが存在し,基礎研究の推進とそれを応用へと結びつける研究が着々と進行しているのである.この現状を危機感として感じるかは別にして日本の基礎研究はどのように発展すべきか,まだまだ議論が必要なようである.


<カット>川野 裕美

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