Entered: [1997.12.26] Updated: [1997.12.29] E-会報 No. 40(1997年 12月)
海外レポート =留学体験記=

オランダフローニンゲン大学留学記
北海道大学・農学部・生物機能化学科・応用菌学講座
横田 篤


 平成8年11月1日より平成9年8月31日までの10カ月間,オランダ北部のフローニンゲン(Groningen)にあるフローニンゲン大学のコーニングス教授(Prof. Dr. W. N. Konings)の研究室で,オランダ政府給費研究員として勉強する機会を得た.コーニングス先生は微生物細胞膜の物質輸送研究の第一人者である. 

留学までの経緯

 留学に至るまでのいきさつを簡単に記してみたい.私は微生物の有用機能開発に興味を持っており,有用菌株育種の新しい切口としてエネルギー代謝に注目し,これの操作によって微生物の代謝機能を変化させ,有用物質を大量に生産させたり,望ましい性質を付与したりといった研究を行っている.このような中で,細胞膜を隔てての糖質などの発酵原料の取込み,また代謝作用により生産された有用物質の細胞からの排出過程は重要であり,このあたりの研究ができないものかと考えていた.また膜の能動輸送の研究は輸送担体とそれを駆動するエネルギーとの関わりを調べることでもあり,エネルギー代謝という私の興味に一致していた.また私は乳酸菌を研究対象の一つとしているが,コーニングス先生の研究室では酪農国オランダだけあって,以前からチーズやヨーグルトの製造に用いられる乳酸菌の膜輸送系について精力的に研究が進められており,この観点からも魅力的であった.このような理由で私は以前からコーニングス先生の研究室に留学したいと思っていた.コーニングス先生との最初のコンタクトは,今から2年前の平成7年夏に先生が来日され,札幌にも立寄られた時に,雪印乳業(株)札幌研究所の方々のお世話で先生にお会いしたことに始まる.その年の12月にオランダのハーグでシンポジウムが開かれ,これに出席した折りにコーニングス先生の研究室を訪ねて留学のお願いにあがった.この時にも雪印ヨーロッパ研究所の方々に大変お世話になった.結果は「いつ来ても良いが,ポスドクのようにサラリーの出るポジションはない」ということであった.コーニングス先生は日本の大学からサラリーが出るならオランダで暮すのは問題ないだろうとおっしゃったが,資金援助無しで家族連れで1年近くも暮せるゆとりは,国家公務員のサラリーではあろうはずもない.どうも日本人は皆金持だと誤解されているらしい.ということで,自分の見通しの甘さを後悔しつつ,帰国してからあわてて資金探しにとりかかった.学術振興会など公的な資金は皆だめで,藁をもすがる思いでオランダ大使館に電話をしたところ,まもなく〆切になるが10カ月間の奨学金の募集があるとの情報を得た.1月願書〆切,2月面接,3月内定,5月最終決定とやっとめどが立ち,採用が決定したときは本当に嬉しかった.

コーニングス先生の研究室

 フローニンゲン大学は1614年の創立で今年は開学383年となる.北大の3倍以上の歴史を持つ大学である.私が所属していたのはGBB(Groningen Biomolecular Sciences and Biotechnology Institute)と呼ばれる研究所である.これはバイオサイエンスとバイオテクノロジーをカバーする大学院で,日本で言えば,理学部,農学部,工学部のバイオ系の大学院が合体したようなイメージである.研究分野はタンパク質の構造と機能,タンパク質と生体分子工学,生体触媒,生体膜,工業微生物,環境バイオテクノロジーと,基礎から応用まで広い範囲にわたっている.さらに,GBBが自らフロ―ニンゲン市郊外にサイエンスパークを整備し,大学が進出企業の研究コンサルタントを行なっている.オランダでも政府の大学予算は削られており,その分大学が自前で研究費を稼がなければならないと期待されている.基礎研究に強いヨーロッパでもいよいよ産学協同のトーンが上がってきている.我が国でも相当真剣に産学協同を考えないと,この先応用研究でも欧米に先を越されるような事態になりかねないと危機感を覚えた.さて,コーニングス先生の研究室はGBBのDepartment of MicrobiologyのMolecular Microbiologyというグループで,研究目的は微生物の輸送タンパク質の構造と機能を解析し,細胞生理における役割を明らかにすることである.主な研究テーマは,乳酸菌のラクトース輸送系,ペプチド輸送系と代謝,クエン酸輸送系,多剤耐性(multidrug resisitance,MDR),タンパク質分泌系,バクテリオシン,好熱菌の膜生物学,ペニシリン生産菌,アルコール発酵酵母の輸送系などである.人員構成はコーニングス先生を含めて4人のスタッフ,約10名のポスドク,約20名のPh.D.コースの学生,学部学生,客員研究員,技官の総勢40名以上で,Departmentの中で最も大きな研究室である.常に人の出入りがあり,活気にあふれている.この研究室は輸送系研究の一大拠点を形成しており,ヨーロッパ諸国から多くのポスドクを集めている.これらポスドク,Ph.D.コースの学生のサラリーはヨーロッパの何らかのグラントでまかなわれているので,この研究室は相当な数のグラントを取っていることになる.またこれらの研究員の研究能力は高く,年間30報以上の論文が出版される.

私の研究テーマ

 私はMDRのグループに配属された.このグループは乳酸菌を材料として,原核細胞で初めて,ヒトの多剤耐性ガン細胞で見つかったATP駆動型薬剤排出ポンプp-glycoproteinのホモログ(LmrA)を発見し,その機能解析を行なっている.また同じ乳酸菌にプロトンモーティブフォース駆動型薬剤排出ポンプ(LmrP)も見いだしている.これらのポンプはエチジウム,ローダミン,ダウノマイシンをはじめとする多くの疎水性カチオン薬剤の細胞外への排出を行ない,乳酸菌に多剤耐性を与える.私に与えられたテーマは乳酸菌の胆汁酸耐性メカニズムの解明であった.近年人間の健康の維持増進に役立つ腸管内の乳酸菌がプロビオティック乳酸菌として有望視されているが,これらは腸内の胆汁酸に耐性でなければならない.従って私の研究テーマはプロビオティック乳酸菌の開発にも関連して,基礎,応用の両面から興味深いものであった.研究は胆汁酸耐性変異株の誘導に始まり,変異株の胆汁酸感受性試験,胆汁酸輸送実験の順に進められた.その結果,的確な指導のおかげで幸いにもまとまりのあるデータを得ることができた.このテーマについては今後も北大とフローニンゲン大学との間で共同研究を続ける予定にしている.

オランダ語

 私の滞在していたフローニンゲン(正確には隣町のハーレン)は,アムステルダムから北へ列車で約2時間,人口17万人の北部一大きな町である.フローニンゲンはGroningenと書き,英語読みするとグローニンゲンとなる.しかしオランダ語の発音ではgの音が喉の奥を震わせるような音となり,rも巻舌となるので,音としてはフローニンゲンのほうが正しい.せっかくオランダにいるのだし日常生活にも役立つからと,私は家内とともに毎週1回家庭教師に来てもらってオランダ語を習っていた.レッスンの日は朝からどうも気が重く,今から思うとレッスンが終った後の喉の乾きを潤すビールの味を励みにしていた感が強い.ラボにいる外国人研究員も多くの人がオランダ語を大学の語学研修コースで学んでいた.オランダ語とドイツ語は兄弟言語であるが,ドイツから来ている学生でさえオランダ語は難しいといっていた程で,日本人が難しいと感じるのは無理からぬことである.それでも少し覚えたフレーズをラボで使うと,まさか日本人がオランダ語をしゃべるとは思わないため一瞬沈黙があり,その後でどよめきが起るのである.オランダ人は自国語はマイナーでだれも使ってくれると期待していないので,外国人がオランダ語を使うと大変喜ぶ.それだけに来たばかりの日本人がオランダ語を使おうと努力することに対しては大変好感を持ってくれ,ラボへの溶け込みも早かったと自負している.オランダ語が対外的に通用しない分,彼らは英語が非常に堪能である.おそらくヨーロッパで最も外国語としての英語がうまい国民なのではないかと思われる.ラボは英語が共通語で,文献ゼミや実験ゼミは全て英語で行われる.従って日常生活でオランダ語を使うことはほとんどなかった.一方,私の3人の子供たちはオランダの現地の小学校に通い,オランダ語で生活していた.2-3カ月もすると,遊び程度の会話には不自由していないようで,子供の語学習得能力には改めて感心した.

オランダの風土

 オランダには山がない.どこまでも平らである.国土の1/4は海面下であり,干拓によって陸地を広げてきたことは有名である.国中に縦横に運河が走る.国土面積は日本の1/9で九州とほぼ同じ,人口は日本の1/8で東京都とほぼ同じである.しかし日本は大部分山岳地帯となるため実質の人口密度は日本の方がずっと高い.車で少し走ると見渡す限りの牧草地,牛や羊がのんびりと放牧されている風景が広がる.遠くには風車や隣町の教会の塔もかすんで見える.国全体に人の手が入り,原始の自然こそ残っていないが,手入れの行き届いた緑あふれる国である.北緯50-53度と札幌よりも10度も緯度が高いが,暖流の影響で冬も比較的温和である.雪はほとんど降らないので,ウインタースポーツはスケートである.私の滞在中,正月に-20℃まで気温が下がり,凍った運河を利用して北部の11の町を結ぶ200kmのスケートマラソンが11年ぶりに開かれ,国全体が熱狂した.研究所の近くの湖は絶好のスケートリンクとなり,ラボの人たちも昼休みを利用してちょっと一滑りという具合である.平坦な地理的な条件もあろうが,オランダ人は子どもから大人まで日常生活に実によく自転車を使う.また,水泳,ヨット遊び,キャンプなど自然に親しみ,長身で逞しく健康的である.人々は皆親切であり,公私ともに助けられた.逆に小学校から頼まれて,日本紹介の授業をしたり,自宅に100人以上の子供を招いて日本のお祭りをやったりして,異文化交流も試みたが,子供たちは皆興味深く参加してくれてやりがいがあった.

 3人の子供たちの同級生を見ていると,子供たちはあくまで子供らしい.本当に適性のある人だけが大学に進学するので,大学生は優秀で人間的にもバランスがとれ,ゆとりがある.このような人たちが本気で研究すれば実に発想豊かでよい仕事ができるだろう.日本の教育は大学に入ることが目的になっているようなところがあり,子供たちは自然に親しむ暇もなく塾通いの日々を送る.これで本当に将来の自然科学の担い手が育ってくれるのかと心配になってくるのは,私だけであろうか.

 取り留めのない留学記になってしまったが,読者の皆様の何かの参考になれば幸いである.


<カット>川野 裕美

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編集幹事:松岡 一郎 matsuoka@pharm.hokudai.ac.jp