Entered: [1998.01.19] Updated: [1999.01.23] E-会報 No. 43(1999年 1月)
海外レポート =留学体験記=

プリンストンパラダイス
北海道大学歯学部口腔病理学講座
東野 史裕


 ニューヨークとフィラデルフィアのちょうど中間に位置するプリンストンは,アメリカの中では例外的に平和な街で,大学の中にはリス,ウサギ,シカ等の動物がたくさんいるし,真夜中でも若い女性が一人でジョギングしているくらいである.筆者は,この札幌よりも平和だと思われるパラダイス,プリンストンに3年間留学した.

プリンストン大学
 プリンストン大学は,1996年に創立250周年を迎えた歴史ある大学で,アメリカ東部に7つ程ある有名私立大学いわゆる Ivy League に属している.Ivyとは植物の蔦(ツタ)のことで,校舎に蔦が生えているくらい伝統的な学校という意味でIvy Leagueと呼ばれているらしい.Ivy Leagueでもっとも有名かつ成績優秀な学校はもちろんハーバード大学で,プリンストン,エールあたりで常に2番手争いをしている.プリンストン大学は日本ではあまり深く知られていないが,最も有名な人といえばアインシュタインで現在でもアインシュタインの家が大学の敷地内に残されている.プリンストン大学はその学力もさることながら,お金持ちの子女が多いことでも有名で,大学の正門前にはブランド物を売る店がズラリとならんでいるし,ミールクラブといって専属のコックがいるレストランで学生が食事をしている.またフットボールやラクロスのスタジアムとか大学内の様々な建物が卒業生等のDonation(寄付)で盛んに建てられ,Donationの感覚も日本人とは全然ちがうようである.ちなみにIvy Leagueの1年間の授業料は約3万ドルで,1ドル100円だとしても年間300万円,4年間で1200万円,日米の物価の差を考えると親は4年間で約2000万円程度支払うことになり,それなりの余裕のある人でないと子供をIvy Leagueに入れることはできない.

Department of Molecular Biology
 筆者が所属していたDepartment of Molecular Biologyは1984年に創設された,プリンストン大学の中では最も新しいDepartmentの一つである.その創設に際しては,初代chairで,癌抑制遺伝子産物p53の発見者の一人であるArnold J Levineと2代目chairで筆者のボスのThomas Shenk (Tom)が中心的な役割を担った.「PoliticianのArnny,BusinessmanのTom」と呼ばれる様に,この二人はいわゆる“やりて”で,当初は彼らがDepartmentをきりもりしていた.その他にもテロメアで有名なVirginia Zakian,Genome ImprintingのShirley Tilghman,そしてDrosophilaの発生に関わる遺伝子の研究で1995年度ノーベル医学生理学賞を受賞したEric Wieschausなどが同じDepartment にいる.Ericがノーベル賞を受賞した日はDepartment 全体が盛り上がり,パーティや記者会見が行われ,筆者は幸運にも最前列で記者会見を聞くことができ大変興奮したのを覚えている.

Shenk Lab.
 筆者のボスのThomas Shenkはアデノウイルスでは最も有名なScientistのひとりであり,彼が作ったmutantアデノウイルスdl309は現在遺伝子治療に用いられているアデノウイルスベクターの基本となったウイルスである.Tomは若いころにmutantウイルスの業績でイーライ・リリー賞をとってからメジャーになり,最近でも色々肩書きが増え続けておりJournal of VirologyのEditor in Chiefもやっているし,筆者が留学中もNational Academy of Scienceの会員に選ばれたりしている.

 Shenk Lab.ではアデノウイルスが主な研究テーマだったが,最近はその中心がサイトメガロウイルスに移行しつつある.Tomの研究スタイルは例えばアデノウイルスという大枠さえはずしていなければテーマに関しては特にこだわりはない.発ガン,転写調節,DNAの複製,mRNAのスプライシング,アポトーシス,mRNAの輸送等多岐にわたる.ポスドクも常時10人前後在籍し,大学院生も7-8人はいるので比較的大きな研究室だと言える.

 次にShenk Lab.の特徴をいくつか述べると,まずポスドクのテーマを決める時はTomの方から強制してくることは全くなく,こちらが納得してやりたいと思ったテーマが最優先される.そしてテーマはどちらかが結果が出なくてももう一方が生き残る様に必ず二つ与えられる.筆者の場合は「アデノウイルス9型によるラット乳癌形成」と「アデノウイルスE4orf6による細胞のトランスフォーメーション」という二つのテーマを同時に行い,後者のテーマで良い結果を得ることができた.次の特徴としてはShenk Lab.でやったテーマをそのまま自分の次のLab.に持って帰れるという点である.通常留学先でやったテーマは,帰国時にはその多くが何らかの制約を受け,日本へ帰ってからはなかなか成果が上がりにくいのが普通である.Shenk Lab.でポスドクをやった連中はたいてい在籍中に長期のテーマを見つけ,論文を一本か二本書きある程度目途をつけてから自分のLab.に移り,その研究を成熟させるというパターンが非常に多い.実際テーマを決める際にも“このテーマはおまえの将来にも良いだろう”という話が出てくる.従ってShenk Lab.では各ポスドクが独立したテーマで研究を進めるのが普通で,競争はほとんどないと言ってよい.その代わり自分の仕事は全て自分一人でやらなければならず,一本の論文が出るのに非常に時間がかかる.留学中はこのスタイルが正直いってしんどい面もあったが,帰国後の現在はは非常にありがたいと思っている.そして最後の特徴は研究費にかなり恵まれていると言う点である.元々Shenk Lab.はHoward Hughes Medical Instituteなので研究費には苦労しないはずなのだが,それ以外にもNIHの8年で10億円のグラントが当たったとか,企業等に盛んに講演をしに行って研究費を調達したという噂があったりして,さすが“BusinessmanのTom”と呼ばれているだけあってその集金力はかなりのものである.筆者がアメリカに行って二年目の6月のラボミーティングでTom本人から「今年の1月から5月の5ヵ月間で57万ドル使ったから節約するように」というお達しがあり,それ以来すべてのキットと抗体を購入する時はTomのサインが必要になった.今の研究環境からは考えられないはなしである.

日本かアメリカか
 アメリカに留学等で何年か住んだ日本人を観察しているとおおまかに分けて二つのタイプに分かれるようである.一つはすっかりアメリカが気に入ってしまいアメリカに永住したいと思うタイプ.そしてもう一つはアメリカに住むことにより逆に日本の良さを再認識してしまうタイプである.私は明らかに後者のタイプである.特に生活面では,危険度,不便さ(全てのことにおいて),食事のまずさ,チェックを切るめんどうくささ,ジョークが面白くないこと,そしてもちろん英語があまりうまくしゃべれないこと等を考え合わせると断然日本の方が住みやすいと思う.食事に関しては日本にいた時よりも日本食を口にしていたと思うし,そのために2週間に1回は車で1時間以上もかかるヤオハンに買い物に行っていた.おかげで友達からは“ヤオハン貧乏”と呼ばれていたくらいである.仕事面に関しては残念ながら前述した様にアメリカの方が上だと思う.能力のある所(人)にはお金と人が惜しみなくつぎ込まれる社会なので,能力のある人にはアメリカはやはり良い国であると思う.しかし一昔前と違って,日本のLab.からも一流誌に途切れることなく論文が掲載されるようになってきている.ということは日本でも努力しだいで良い仕事ができる環境が整いつつあるということだと思う.筆者のこの考えが間違っていなかったと思える様にこれからもがんばっていきたいと思う.

 最後に今回の留学に際して大変お世話になったShenk Lab.の最初の日本人ポスドク,澤田幸治先生,留学中に様々な質問にめんどうがらずに答えてくださった,吉田幸一先生,日本の就職先を世話してくださった進藤正信先生,そして筆者の日本のボスで初代HAMB会長の藤永先生に深く感謝したい.


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編集幹事:伴戸 久徳 hban@abs.agr.hokudai.ac.jp